多についての整理。

グールドの不運多数死のがいねんが面白かったので、メモ的に整理。

多様性を整理する。

まず、多様性は多数性を前提にする。多様性というのは、述語の複数性であり、多数性というのは主語の複数性。

AはBです。
AはCです。

これが多様性。

BはAです。
CはAです。

これが多数性。

次。

多様性は二つに分けられる。

1 多態性。その構成要素の組み合わせが展開されたものとしての多様性。
2 多形性。その構成が変形されたことによる変化としての多様性。

前者はバリエーション。予測可能。後者は偶発性、生成。たしか差異と反復にも似た記述が。

なお、グールドのツリー的系譜性への批判は、十分に一般性があると思う。ばんせいいっけいが典型。

複雑性が時系列を追って増大し、残った系列の共通祖先は、過去の時点においてもあらかじめ特別な存在であった、という想定が、ツリー的幻想である。

まあ、そういう話はおいても、バージェス動物群、カンブリア爆発の話は面白いです。

涼宮ハルヒの憂鬱について涼宮ハルヒの憤慨を読んで考えたこと。

ハルヒの本質は妹キャラではないのか。あるいは、キョンはいいお兄ちゃん属性なんじゃないか論。

もちろん、いわゆる妹キャラではないことは分かっているんで、括弧つきのリアルというかうっとうしい元気妹キャラ、ということである。微妙に違うけど、似たものとして、げんしけんに出てくるギャルな妹との関係性とか。

なお、ツンデレというのは、ここで言ってしまうと、あれは属性やキャラではない。物語の属性である。

といっても、狭義のツンデレはキャラの属性には違いないので、ここに広義のツンデレという概念を導入する。なんらかの事情により、こちらに対して心理的に距離をおいた異性が、主人公とのかかわりの中で心を開き、人間的に、少し、成長する。そして、かつての距離感を示すものだった象徴的なジェスチャアは、消えはしないのだけれども、ひとつのユーモア、パロディのようにして、その意味を変える。これって燃えるシチュエーションだよな。

この意味でのツンデレというのは、エンターテイメントにおいて、非常に一般的な現象なのではないかと思う。広義を考えることの利点は、長門のような、アヤナミから連綿とある、SFお得意の、「心の獲得の物語」と、みくるちゃんのような、謎めく女性、無垢の両義性の物語が、統一的に扱えるんじゃないか、ということだ。ただし、もちろん、朝比奈さんに関してはいろいろ問題がある。

ユキとハルヒがある点で同一の物語のアクティブとパッシブの両方向での表れであることは分かりやすいと思うのだけれども、朝比奈さんはどうか。ところで朝比奈さんは最近影が薄すぎる。それはともかく、朝比奈さんというのは、これも類型論で押してしまうと、ものすごく人当たりがよく、誘惑さえしているように感じられるのに、ある点を超えると、根底のところで拒否られている感がある、逃げられてしまう、そういう謎めく女性のイメージ、という類型がかかわっている。

というあたりで、とりあえず中断。展開できそうなことを思いついたら続けるかもしれない。

冬至祭 サトゥルナーリア クリスマス 新嘗祭

http://koyomi.vis.ne.jp/i/i9reki.cgi?func=O2N&date=20051123
http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/drink/200211.html
http://www.ffortune.net/calen/maturi/11/niiname.htm
http://deva.aleph.to/documents02/event01.html
つまり新嘗祭とクリスマスはゆるくいえば同じお祝いなのだといってもいい。
勤労感謝の日が十一月なのは日付だけ単純に新暦に移動したから。

追記 なにげなく検索してリンクしたら最後のは例のひとのサイトで、ちょっと面白かった。

グラフ理論

http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20051219
最近関心があったので参考に。
ドゥルーズのダイアグラムとかも要するにグラフ理論ってことではないのか。
http://homepage3.nifty.com/kaku-chan/graphviz/chapter_001.html
単純にgraphvizはおもちゃとしてもすごい面白いです。

そういえばハルヒ谷川流オイラーのアレに言及してたけど、関心があるんだろうか。どういう接点があるのかちょっと興味があったり。あの程度は普通に学校で習うのかな。文系選択だったので習った記憶がないのだけど。