愛・蔵太氏のその後

 被害者を加害者であるかのように、しかも驚くべきことに弾圧者に比し、時期ではないなどと不分明な言い訳に終始し、匿名の中傷的なメールを公開し、謝罪どころか弁明すらしようとしない。

 なお、問題の「既知外」の部分はいつのまにか変更されている。侮辱が問題ではなく、あたかも禁止された単語を間違って使ってしまったのが失敗だったとでもいうかのようだ。このような言葉狩りではなく、謝罪でなければむしろ弁明や反論(即ち、「既知外」と語ったことの根拠を挙げた正当化)こそ、発言に対する責任として求められているものではないのか。

少し何かの外にいる人のそれなんで、どうコメントしていいものやら。まぁ自分を中心に世界を回らせてみたいんでしょうか。回せる世界なんて、自分が既知の世界ぐらいなもんなんですが。 言葉狩り、という言葉までは狩られてはいないようで。

 変更前は「何かの外にいる人」、という部分が「既知外の人」という表現だった。

 それにしても、われわれやあなたがこの件の被害者でないのは、ひとえに偶然のなせるわざでしかない。わたしたちは、お互いに対して何の責任もない、無制限な侮辱の自由を手にしようとしてしまっているのかもしれないのだ。