荘子

このへんの古典は結論の不確定な思想的寓意劇(メニッペア)の要素が多分にあると思う。

荘子はなぜか徳の充実をあらわすのに兀者にこだわっている。
天に刑されたもののとしての人間=孔子
荘子の中での孔子はある意味で人間の条件を象徴する「キャラクター」だ。
けっこう比喩に前後の照応があって単独で読むより面白い。
夢の比喩。風の比喩。奇形の比喩。そして死へのこだわり。その意味で昏い。
老子形而上学だとして、荘子は、言語にこだわる。
言葉の意味は相対的関係性によって定まる。
よって自体的には意味はあらかじめ確定していない。
では真理は実在するのか。
と、ここで相対を超えて天に照らし、明による、という。
これは結論なのか何なのか。
ここで、天なり道なりをどう読むかは結構微妙だと思う。

荘子の空虚を不在、痕跡構造を通して読む。

道枢、pivot、転轍機、オン・オフの中間者。

しかし、荘子は童心とはいわない。
この陽明学性善説との違いは実は大きいのではないか。