言語論的転回

英米と大陸では時期的に平行しつつ独立した別のもののような気もするけど、政治史的な「代表制」への懐疑というモメントは共有されている気もする。

弱い形では、
概念を、それをあらわす言語から、完全に切りはなして理解することはできない。

このへんはかなりハイデッガー由来なのかなあ。

もうちょっと強い形では、
概念は、それをあらわす言語によってむしろ構成されている。

ということになって、ただ、ここでの言語は各国語ではなく「言語」だったりする。

つまり、概念はそれ自体としてはあらわれず、必然的にそれを表す言語の後ろに隠れているという形でしかあらわれることができない。この事実が、概念の言語からの独立性を疑わせる。

このへんは、差延がかなり絡んでくるところっぽい。

ウィトゲンシュタインなら、したがって、哲学的問題は文法の混乱に由来する、とまでいってしまう。