ぶんせき

分析哲学の入門書を読んでいると、たまに、不当に大陸系の哲学への軽蔑的言辞を読まされてなんだかなあという気分になる。どうも、論理実証主義以来の観念論への軽蔑がなんとなくで投影されている気がする。実際に現象学ハイデッガー構造主義をおおきな背景にする現在の大陸系の哲学に、ムーアやラッセル的な批判が当てはまるかというと、本当はそんなことないだろうと思う。

そのへんはソーカルとかの話でさんざん出てきた話だろうけど。もっとも分析哲学者がそういうことをいってるというより、日本の解説者がそういうことをいいがちで、どうも、あいつらがはやってるけど、あんなのは哲学じゃないぞ、という気分があるように思う。

大陸系の哲学が哲学的問題を文化と制度、社会学的に解決しようとするのに対し、英米系の哲学は、自然科学と論理学によって自然主義的に解決しようとする。このへん、フランス文学が「社会」を対象にし英米文学が「自然」を対象にするという事情と似てる気がする。