ランダム

http://d.hatena.ne.jp/morichina/20050824#1124892033
ええと、ここでミクロでランダムと書いたのは、量子力学的なこととは関係なく、原因に決定されているという意味ではこれらも必然的なことです。なぜランダムと表現しているかというと、なんらかのシステムをその動きから見出せないという意味で、乱雑な、という意味です。

で、気がついたのは、われわれはランダムとかばらばらなとか、偶発的な、というとき、「システムに統合され何らかの意味や機能を担っていない、見出せない」という意味で使うときと、「原因によって必然的・一義的に規定されていない」という意味で使うときがあり、この二つはどうも意味合いがずれているようだ、ということ。

ホフスタッター云々は、エッシャー・バッハの本で出てくる話で、これは正確なパラフレーズではないと思うのですが、脳神経系が心を担っているとすると、その心であるシステムは、システムである限り、そのシステムが乗っている媒体とは無関係な同一性を持つはずです。ということは、一対一対応で、蟻の巣の蟻の動きが媒体であってもいい。その場合、蟻の巣は知性を持っているはずです。しかし、そのことは、蟻には気がつかれないし、蟻がどういうふうに思うかとはまるで関係がない。同じことは、人間が手旗信号でエミュレートしてもいい。この場合、本質的に、これは「心」の「エミュレート」であって「シミュレート」ではないわけですが、システムが、下位のシステムの「上に」成立するというのは、こういう事態だ、というような話です。

ところでスピノザの真理観ってたしかうろおぼえですが、充実性、完全性が基準だったような。しかし、完全性って神学的な西欧の思惟にとってキータームだけどけっこうわかりにくい。ニーチェの力の充溢や肯定からドゥルーズにつながるラインなんだとは思うんですが。