涼宮ハルヒの憂鬱について涼宮ハルヒの憤慨を読んで考えたこと。

ハルヒの本質は妹キャラではないのか。あるいは、キョンはいいお兄ちゃん属性なんじゃないか論。

もちろん、いわゆる妹キャラではないことは分かっているんで、括弧つきのリアルというかうっとうしい元気妹キャラ、ということである。微妙に違うけど、似たものとして、げんしけんに出てくるギャルな妹との関係性とか。

なお、ツンデレというのは、ここで言ってしまうと、あれは属性やキャラではない。物語の属性である。

といっても、狭義のツンデレはキャラの属性には違いないので、ここに広義のツンデレという概念を導入する。なんらかの事情により、こちらに対して心理的に距離をおいた異性が、主人公とのかかわりの中で心を開き、人間的に、少し、成長する。そして、かつての距離感を示すものだった象徴的なジェスチャアは、消えはしないのだけれども、ひとつのユーモア、パロディのようにして、その意味を変える。これって燃えるシチュエーションだよな。

この意味でのツンデレというのは、エンターテイメントにおいて、非常に一般的な現象なのではないかと思う。広義を考えることの利点は、長門のような、アヤナミから連綿とある、SFお得意の、「心の獲得の物語」と、みくるちゃんのような、謎めく女性、無垢の両義性の物語が、統一的に扱えるんじゃないか、ということだ。ただし、もちろん、朝比奈さんに関してはいろいろ問題がある。

ユキとハルヒがある点で同一の物語のアクティブとパッシブの両方向での表れであることは分かりやすいと思うのだけれども、朝比奈さんはどうか。ところで朝比奈さんは最近影が薄すぎる。それはともかく、朝比奈さんというのは、これも類型論で押してしまうと、ものすごく人当たりがよく、誘惑さえしているように感じられるのに、ある点を超えると、根底のところで拒否られている感がある、逃げられてしまう、そういう謎めく女性のイメージ、という類型がかかわっている。

というあたりで、とりあえず中断。展開できそうなことを思いついたら続けるかもしれない。