降り込められて

 割と誰にでもある感覚だと思うのだが、雨の日に屋内で逼塞していると、船乗りクプクプではないが、外が洪水で、船中にいて、というふうにしかもう思えなくなってくる。ひとたび海と決まれば漂流は必然、逼塞は一転して航海へと変わる。航海となればテラ・インコグニタ、未知の極地へとポオの短編張りに進むに決まっている。日に日に風は香気を孕み、水は澄み、そして危険なほど美しい。リーピチープは彼方への幼い日の憧れに突き動かされ、至る所に魔法が現れる。

 一炊の夢、しかし気が付けば極地はもう彼方に遠く、茫洋とした、至る所水平線の、ただなかに放り出されていて、漂流、潮の香りはあくまできつく、太陽は燦燦と異様なまでに決定的な沈黙の中で照り付け、事物という事物が、くっきりと、影もなく鮮やかに、現実そのもののディテールで迫ってくる。すれば、やってくるのは、体の痛みと空腹で、セオリーどおり、釣りでもはじめなければやっていられない。(ここに「老人と海」張りの海洋格闘もの的文章を各自想像で挿入。「白鯨」とまではいかない)と、水平線に小さな黒い点が見えて、それは無論、海賊船に決まっている。海は遭遇の場所であり、隔離ではなく接続のゾーンだ。

 海賊は筋骨たくましく、むさくるしい親爺とオリジナリティは不要、ナイフを突きつけるが、略奪すべき何者もないのを見て取り、さあ、戸板渡りの危機一髪の仕儀となるが、ここで世相に一筆媚びて、素性知れない若い娘の海賊が一味のうちにいたこととして、とはいえこの娘が除名嘆願の殊勝な振る舞いに及ぶわけではなく、まず先立って血に飢えている。そこで海賊、娯楽にともしいところで残酷なことを思いつき、目出度く戸板の上でナイフのやりあい、こちらが素人と見極めた上でのことだが、この娘、とはいえあまり大事にはされていないらしい。南洋のこととて、板の下にはいまだ人間には知られざる、深海に潜む多様な生物たちが腹をすかせて回遊し、海賊たちの騒ぎや身じろぎや波の音にもかかわらず、圧倒的な沈黙が支配する。

 あわや藻屑、海の贄かと陽光でナイフがぎらぎらときらめくのにもうんざりする頃おい、不意に、日がかげる。何かと見上げれば、見よ、日食がいままさに進行しつつあり、明るい闇が現出しつつある。その隙、娘に反撃しようとしてナイフを右のわき腹へと突き出すが、娘は咄嗟にそれをつかもうとし、その揺れで、渡された板が激しく動揺し、そのまま、抱き合うようにして海面へと落下するのを、あっけに取られて海賊たちが見守る中、海面には日食のせいでもなく、落下しつつあるものたちのものでもない、黒い影が急速に拡大し、それはまたたくまに生臭いにおいとともに莫大な水しぶきとなる。

 巨大な鯨が、打ち上げられたロケットのように、水面に飛び出し、そのすべてを包み隠す水しぶきのなかに、二人の姿は消えた。しぶきが消えたときにはもはや鯨の姿もなく、ただ水面にはきえやらなぬ泡立ちがいつまでも残っている。

 さて、意識を失った娘と少年は・・・・・・