指示の理論

経験科学の概念は、指示対象によって規定される。
つまり、「まちがった」概念というのがありうる。
人文科学の概念は、指示対象によって定義されていない。
経験科学の概念は、指示対象を独立変数として、
そのさししめしている事物によって意味が与えられる。
それにたいして、哲学の概念は、それを定義する
言葉以外に、その概念を規定するものを持たない。
つまり、哲学の概念の実体は、それについてかたる
無数の文以外のものではない。ゆえに、概念を、
それが使用される言葉から独立して規定するというのは、
単に論理矛盾である。

ひらたくいえば、哲学の概念の意味は、その言葉を
使っている文章によってきまっているだけで、
それ自体の言語から独立した実体なんかもっていない。

では概念内容は恣意的かというとそうではない。
哲学は、人間が、哲学以前にすでに概念の世界に
存在してしまっている。
(哲学を学ぼうと学ぶまいと、日常言語には
無数の概念がある)
ということを前提にして、その矛盾を明解に
して、相互関係をあきらかにするために
導入された概念なのだ。
そして、概念を明らかにするために概念を導入する
というのは、仕事を無駄に増やしているように見えるが、
概念によってしか概念いついて語ることはできない
という事情から、これは不可避なのである。