http://www.otsune.com/diary/2003/02/17.html#200302171

http://ishinao.net/WikiLike/?sid=170
http://jba.ja.bz/

 続報。というか、Movable Typeの今後とかそういうことは詳しくないのでおいておいて、ここでの「引きこもり」云々の発言に現れている感覚について一言したい。
 第一に、weblogというのはもとから一次情報としていろんなサイトにある情報や記述を「たれこみ、リスト化して」一覧できるようにすることで利便を追求するものでしょう。つまり、weblogそのものに一次情報がある必要なんてどこにもない。紹介文とurlがのっていればいい。実際、まとまった議論をするとき、以前からふつうは、サイトを持っている人は、自分のページで発表し、議論はサイトをまたいで交換されるものだった。それはひとつには、自分の文章は自分で責任の持てる管理をしたいということ、(だからこそうるさいくらい履歴の保存というトラウマがテキストサイト、日記サイトにはあるわけで、履歴の改変は大罪とみなされていた、あるいはいるわけです、ついでにいうとだからこういう一日分単位でしか書けない日記はその日の前に書いた日記を改変してるみたいなへんなうしろめたさが)、責任の所在、文責があきらかになるということ、長い文章はやはり「別紙」(ストック・テキスト)にせざるをえないということ、などなど理由があったわけです。
 サイト間コミュニケーションを前提にしたweblogというメディアの議題において、議論を単一のサイトの内部で行わなかったということを理由に非難するのはこのうえなく倒錯しています。

 第二に、確かに、言及されていることを言及されている側が知らないのは場合によってはフェアではない。反論の機会をあたえるべきで、その意味で出向いて書き込みすべきだった、という論点については、だからこそ言及するときはリンクを張るべきだ、という(一部に議論を嫌う風潮から他サイトへの言及リンクを忌避する人もいないではありませんが、リンクしないで語る、ということのほうが実際にははるかに「陰口」にちかいのです。そして、そうはいっても、その場合でもアクセス制限をかけていなければ、公開されていることには変わりないのです)慣習があるわけです。そしてアクセス解析をつけることも基本的には普及している。そして当該のサイトは実際にOtsuneさんの言及に気がついたからこそ、対話が始まったわけでしょう。これをして「陰口」「引きこもり」と呼ぶのは不可解です。

 そもそも、サイト管理者として「行動する・外出する」というメタファを考えるなら、いっさい他のサイトに書き込みをしなくても、リンクをし、発言をアップし、議論し、読み、といったことをしていれば、そのアクティヴィティにはなんの遜色もないわけです。

 つまり、問題なのは、他のサイトに書くことと自分がページの管理権限を持つサイトに書くことがどう違うか、そしてそこから派生してくる倫理的責任はどう違うのか、ぜんぜんまともに考えてない、ということが、「引きこもり」という不用意な言葉の中に凝縮してあらわれている、といえるとおもうのです。