応相談

http://d.hatena.ne.jp/maspro/20030425#p2

 でもそれはいちいち話し合い解決すればいいということで、物言いがつく可能性があるから登録できない、したくないというのは違うのではとおもう。物言いがつくことは前提で、物言いがついたら話し合えばいいので、まえにも書いたけど、削除予定に移動されたからといって、それで取り返しがつかないわけではなく、実際には、とりあえずペンディングになったということでしかないのだから。(もっとも前回の件では、とりあえずペンディングにしますとか、断りを入れたほうがよかったかもしれない、とは思っている。ただやはりそこまでキーワードにかかわる人の中で登録者に特別な配慮が必要かどうか、ということに疑問もあるのだけど)

 そういう物言いがつく可能性そのものを排除する、つまり完全にすみわけをして、お互いに干渉せず、自分の領域で好きなことをする、というほうが、ぼくには実際には非常に閉鎖的に感じる。あと、やっぱり独裁という比喩はどれだけゆるく考えてもぴったりしてないとおもう。問題はお互いにいちいち当事者間で解決で、規制する権威がいない、あるいは積極的に介入しないという状態の、個人の自由さを、独裁と呼ぶのは言葉の乱用ではないだろうか。

というのは、そういう自由な権利の行使は、結局、お互いの存在そのものによって制限されているので、特権的な誰かがいるのならともかく、ユーザーとしては対等な立場でしかないのだから。たとえば、あるひとが言葉を登録して、だれかがそれを編集して、それは被害だろうか? それでそのまま何もしなかったら、たしかに、自分の好まない方向に編集された人は気分的に被害と感じるかもしれないが、しかし、それは単にかれが好き好んで編集し返さなかったからにすぎない。立場も、なしうることも対等である限り、対抗手段をとらなかった人が、それを一方的に被害と感じるのは不当だろう。ポリシーとして対抗しなかったという場合でも、それならば、みずから望んで選んだポリシーのリスクはひきうけるべきである。

つまり、誰かに削除、あるいはまったく別な内容に編集されるかもしれないということはいつでもどこでもありうることなので、そういう可能性を事前に排除したい、排除できなければ登録したくない、というのではなく、そのときには、当事者間で話し合うなりして解決すればいいし、ほかに方法がないし、そのことで、誰かが特権的に強い立場にたつとか、逆に不当な立場におかれるということもないはずだ、ということである。

もっとも、こういうある種の言論の近さ、相互アクセスの敏感さを忌避する向きがあるのはわかるし、そうしたいひとをフォローする仕組みもいるかもしれないとは一応はおもうけれども。