アリストテレス この項いろいろ訂正あり。

ARISTOTELISがあってARISTOTELESがない。
たいへん、気になる。たとえば大学生なんかのページで哲学者の名前や概念がどんどん英語で出てきたりするのは、英語の本を読んでいるところなんだろうからいいんだけど(もっともそういう場合でも漢字の読みみたいに、これはたとえばヴェルギリウスの英語読みだ、とかそういう意識があったほうがいいと思うけど)、日本語の文脈で英語読みだとどうかとおもったりする。ヴァージルとか、シーザーとか(これは定着しちゃったけど)

ほんらい、この哲学者の名前はこうだ。
Αριστοτελησ
で、標準的なアルファベットへの翻字では
http://www.ritsumei.ac.jp/www-lib/runners3/transtabl.htm
Aristoteles
である。
ちなみに現代ギリシャ語ではaristotelisのほうが発音が近いみたいだけど、古典では違うだろう。英語では普通はaristotleだけども、おそらく(よくわからないのだが)これは英語のつづりなのだと思う。(訂正。違うらしい)

http://www.wikipedia.org/wiki/Aristotle
英語のつづりとして紹介されているならともかく、アリストテレスから飛ぶように指示されているのが、英語つづりというのは、なんか釈然としない。(注。どうやらおそらくだけどラテン語のようだ)

(追記。英語うんぬんの話とaristotelisのキーワードの綴りの話はあまり関係ない事情らしい。ただ論旨自体にはさほど影響しないのでそのままにしておく。一般的な綴りのほうがいい、という話である。ただ例の選び方はまずかった。反省)

この場合に限らず、歴史人名とか概念とかで、その必要がないのに英語を使われると、けっこう途方にくれる。チャールズ大帝とかいわれると、誰ですか、それは、と言いたくなる。国名についても(キーワードもだけど)なぜか外務省のサイトは英語表記だったりするのだが、哲学の項にphilosophyと書く必要は特にないと思うし。とくにその英語の単語からの翻訳でほかの言語に対応語がない場合はともかく。

まあ、ほかはともかく、やっぱり気になるのは歴史人名。ひとむかしまえはほんとうにぜんぶ英語読みだった。勘弁してほしい。

別に現地音主義が万能とは言わないけれど、英語表記をとくに足す理由もわからない。普通は、そういう注記をする場合は、それが本来の名前、翻訳の元の語ですよ、という意味だろう。そういう意味で、英語の単語を紹介するのはあきらかに変だと思う。