ひとのきもちをかんがえる

http://d.hatena.ne.jp/nagisan28/20030623#1056354319

ひとのきもちをかんがえる、というのがよくないのは、
それが、半端なエゴイズムの現れだからだろうと思う。
相手に合わせることが利益になるからで、このとき、実は、
慮ってもらえる他者とは、人格ではなく、操作対象(モノ)なのである。
これはマーケティングであり、技術の問題だからだ。

他者を他者として配慮するというのは、自己の利害と他者の利害が
どのように異なるのか、突き詰めて、差異と同一を考える、それも
切実に、ということだとおもう。相手を操作可能な対象としてではなく、
不意打ちの暗闇として、折衝相手として、見る対象としてではなく、
むしろこちらを見ている者としてみること。

いうは易いんだけどなー。

ちょっと追記

そういえば勝海舟は「敵ばかりになってしまったほうがやりやすい」とかいってたそうですが、多分、敵というのは、はっきりしてるんですよね。味方というのは実は、「地雷の場所がわからない人」で、敵というのは「地雷の場所がわかってる人」ということでもある。

いや、ひとのきもちをかんがえるのがよくないっていってるんじゃなくて、ひとのきもちをかんがえたほうがラクだから考えてるって場合、じつは相手を軽く見てることになるんじゃないか、ということを思ったりするわけです。かなり自戒として。まあ、日常、そうそう、そういう「やさしいスルー」抜きでは成り立たないわけですが。