プラトン風の愛

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0307c.html#p030722a
この論争に関しては、どう考えても滅・こぉるさんに分があると思うのだが、ここでフレーゲとかを持ち出すと、虚構世界の存在者への指示は、指示理論の枠組みでは、意味の領域なのか、指示の領域なのかというような滅法面倒な問題が出てくるのでそれは避けつつ、ポイントとして、

1 笠井潔プラトン風の愛と書いた場合とプラトニックラブと書いた場合では本来の意味が異なってしまうことを意識していたか?

2 意識していたとした場合、プラトニック・ラブの意味でプラトン風の愛と書くことは、小説論的に成功しているか。あるいは必然性があったか。

という二つのレイヤーがあるとおもう。誤用という言い方が正当化されるのは、1で意識していなかった場合と、1で意識していたけれども、2で必然性がなかった、また効果をあげることに失敗している、という場合だろう。後者の小説論的次元では、
2 1 読者にそれがプラトニック・ラブの意味で(わざと)書いていることを何らかの形で明示できているか。
ということも論点だろうと思われます。