漢字の使い分け

 誰の日記で読んだのかつまびらかにしないのだけど、和語の漢字による書き分け(取る 採るなど)にはあまり意味はない。日本語としてはみな同じ単語なのである、という本からの引用があって、それはまあ、たしかにそういう面はあるのだけど、一面的かなと思った。

 ただ、日本語は、表記先行の、音声言語としての面は文字にひきずられている、そういう言葉でもあるので、ほかの言語なら、時代とともに言葉が表すべき対象が増え、複雑になり、分化したとき、あたらしい言葉を、たとえばtele+phonのように、あるいは現代ではドイツ語やモンゴル語なんかがそういう傾向が著しいように、単語を重ねてあたらしい単語をつくるのに対して、漢字をあてることで対処した、ということがあり、一律に現在で漢字で書き分けることで、和語としてはがんらい同一の言葉だが、別の言葉として通用させているものを、同一視してしまうと、言葉の表現力があきらかに減退してしまうんです。(ちなみに英語なんかはドイツ語式のやり方ではなくて、同一の言葉の異形をつくって意味を変化させるのと、外来語をとりいれるというやり方で対処した)

追記
http://d.hatena.ne.jp/wata300/20030828#p3
http://d.hatena.ne.jp/wata300/20030831#p1
ここでした。