同字の続き

http://d.hatena.ne.jp/Petronius/20030904#1062652976
宿題のつもりではなかったのですが回答していただきました。たいへん恐縮です。おもしろいのでみなさん読んでみてください。

えーと、ということは娘と嬢は元来の漢語においても同一の漢字ではなかったということでいいのでしょうか。(追記。ああ、そうか。たしかにそう書いておられますね。右側は音符ではなく意符なわけですね、なるほど)うーん、とはいえ「相通」の字といえども字が違うということは、着の場合のように略字の場合を除いて、意味がもともと違いうるということですよね。そもそも現在、違う字として使われている同音の家族語も、元来は同じ語であったということは云えるわけで。たとえば、得、徳、直とか。「漢字源」はそういうのにくわしくて面白いですが。じっさい、和語でも、現在別語として認識されているがもとは同じ語であった同音語はたくさんあるわけで。

なので、ケースとして、表記だけのバリエーションで、語として使い分けがない場合と元来そうだったが語としての使い分けが生まれた場合、とがあるわけなので、中国語で表記だけではなく語としての用法の違いが、日本輸入以前にあったか、その後の日本と中国語での使い分けの経緯はどうだったか、という二点がポイントでしょうね。

新潮の記事だと使いわけはどの時点でも日本だけの現象のように読めます。

あと、余談。

表音文字というのは、実は外国の文字を輸入した民族においてしか発生しません。なぜかというと、言葉を、音素で分析するということは、どういうことか考えてみるとわかります。それは、外国語で自国語を表記するということに等しいのです。つまり、空耳です。音素による言葉の分析は、空耳という経緯でしか発生しない。ですから、アルファベットは発明された時点では、漢字と同じような、形態素文字(単語単位の文字)でした。たとえば。Aはアレフで牛という意味ですね。で、文字をもたない、そして牛をアレフと呼ばない民族がこの文字を輸入します。さて、この時点で、どうしたら、この文字をつかえるでしょう。電報方式しかない。「あした」という文章をつたえるのに、「アップルの最初、シャドウの最初、タンクの最初」というしかない。表記は、「アップルの文字、シャドウの文字、タンクの文字」が続けてかかれる。

こういうことを考えていると文字って不思議だなあ、と思います。それはある意味で、つねに外国語で考えることです。

追記。娘と狼。
http://homepage2.nifty.com/osiete/seito322.htm
これもおもしろい。

追記2.あはは。
http://yokohama.cool.ne.jp/kanjitou/omolog2.htm
これはもちろん、中国語ではありません。