十月二十日は

坂口安吾の誕生日です。

 私には国はないのだ。いつも、ただ現実があった。眼前の大破壊も、私にとっては国の運命ではなくて、私の現実であった。私は現実はただ受け入れるだけだ。呪ったり憎んだりせず、呪うべきもの憎むべきものには近寄らなければよいという立前で、けれども、たった一つ、近寄らなければよい主義であしらうわけには行かないものが母であり、家というものであった。私が意志して生まれたわけではないのだから、私は父母を選ぶことができなかったのだから、然し、人生というものは概してそんなふうに行きあたりバッタリなものなのだろう。好きな人に会うことも会わないことも偶然なんだし、ただ私には、この一つのもの、絶対という考えがないのだから、だから男の愛情では不安はないが、母の場合がつらいのだ。私は「一番」よいとか、好きだとか、この一つ、ということが嫌いだ。なんでも五十歩百歩で、五十歩と百歩は大変な違いなんだとわたしは思う。大変でもないかも知れぬが、ともかく五十歩だけ違う。そして、その違いとか差というものが私にはつまり絶対というものに思われる。私はだから選ぶだけだ。
(『青鬼の褌を洗う女』「白痴」新潮文庫p194)

 私は然しあんまり充ち足り可愛がられるので反抗したい気持ちになることがあった。反抗などということはミミっちくて、わたしはきらいなのだ。私は風波はすきではない。度を過した感動や感激なども好きではない。けれども充ち足りるということが変に不満になるのは、これも私のわがままなのか、私は、あんな年寄の醜男に、などと、私がもう思いもよらず一人に媚態をささげきっていることが、不自由、束縛、そう思われて口惜しくなったりした。実際私はそんな心、反抗を、ムダな心、つまらぬこと、と見ていたが、おのずから生起する心は仕方がない。
 ふと孤独な物思い、静かな放心から我にかえったとき、私は地獄を見ることがあった。火が見えた。一面の火、火の海、火の空が見えた。それは東京を焼き、私の母を焼いた火であった。そして私は泥まみれの避難民におしあいへしあい押しつめられて片隅に息を殺している。私は何かを待っている。何物かは分からぬけれどそれは久須美であることだけが分かっていた。
 昔、あのとき、あの泥まみれの学校いっぱいに溢れたつ悲惨な難民のなかで、私は然し無一物そして不幸を、むしろ夜明けと見ていたのだ。今私がふと地獄に見る私には、そこには夜明けがないようだ。私はたぶん自由を求めているのだが、それは今では地獄に見える。(略)
(p.203-204)

ついでだから、旧ローディストとして、くもぎり太郎一條和春)さんから。
http://www.netlaputa.ne.jp/~towako/ango01.html