百選続き

ぼくもid:tauさんにほぼ同感。誤解があるのなら説得すべきなのは誤解している人のほうだろう。話をもっていく先が違う。筋違いなところに責任を問うている。誤解をいくらといても誤解を招くような事柄、誤解するのが自然で、無理もないことがあるというのなら、たしかに問題だろう。だがそれは具体的に、個々の事例について、誤解するのが当然、自然、無理もないことであるということをきちんと主張できなければいけない。現に誤解している人がいるのだから誤解されるほうに責任があるというような議論は一方的で、誤解したほうの責任をまったく考えていない。誤解されたほうに問題点があるというなら、具体的に問題点を上げて、それを具体的にどうすべきだと考えているのか述べなければならない。id:toroneiさんはそういうことをまったくしていない。具体的にあげられている出版化の話もふってくれリストの話もどうみたってそれから排他的だという印象をうけるのが自然なこと、当然なこと、普通なことだとは思えない。

リレーは友達の友達が友達である必然性などどこにもないのだから、内輪であるという印象は思い込みでしかない。まして具体的な論拠も挙げずに、雰囲気や印象などという曖昧な感覚を盾に、一部のユーザーの言動に原因があるという物言いは飛躍であるし、具体例をあげていないがゆえに検証不可能であるからこそ、無責任にそうした誤解を再生産する行為以外のものではない。

声をあげることができるのに自分から声をあげていないひとが、自分の意見が反映されていないと不満をもつのは虫が良すぎる。相手が自分を受け入れてくれなさそうだと確かめもせずあるいは不確かなうわさを真に受けて思い込んで輪に自分から入ろうとしないひとが、自分からは何もしないで向こうから誘ってくれるのを期待するのも虫が良すぎる。そうではなく、誤解するのが当然な行為、言動があったというなら、その個々の事例について、具体的に、それに対して誤解するのが自然なことか無理もないことか、検討すべきである。雰囲気、印象などという曖昧なものに対して、しかも漠然とどうにかしたほうがいい、などという議論が生産的なものになりうるわけがない。そういう曖昧な雰囲気、印象というもの、またそれをたてにした議論こそが、「世間」というような形で曖昧なままにひとを不当を縛るのである。

いいかえれば、一部のユーザーが話をかってに進めている、また排他的にユーザーが振舞っているという誤解がある、それは問題だ、どうにかしたい。それはわかるし同意できる。そこから、そうした誤解の原因としてユーザーの言動や百選のルールをあげるのが根拠なき飛躍であるといっている。少なくとも、その飛躍を正当化する具体的な事例も理由も挙げられていない。

そうした誤解の原因はおおむね入り口でのドキュメントの不備や最新の情報の共有、周知徹底がおいつかないことに求めるべきであって、ユーザーの言動やクラブの運営方法に原因をもとめるのは、筋違いだ、そういっているのである。

(そうしてそうしたローカルルールが増えてしまうこと、その情報の共有のむずかしさと、そこから出てくる誤解や敷居の高さの問題は再三話題になっているが、根本的なドラスティックな解決策がない、というのが現状なのである。対案もなく安直に「配慮がたりないのではないか」というような物言いは誰にでもできる。解決策があればぜひ伺いたい。とりあえずできるのは、誤解している人にいちいちなるべく丁寧に誤解を解いていくことしかないだろう。)

また、そうではない。言動や運営方法に原因があるというなら、それを個々の事例についてきちんと理由をあげて主張すべきである。

たしかにユーザー間の議論がはてなの方針に影響を与えることはあるが、それはあくまでもはてなの運営側の主体的な判断でなされていることであって、そうしたユーザー間の議論や議論しているユーザーになんらかの決定権や特権があるというのは幻想でしかないことはいうまでもない。ましてや一部のユーザーの議論が他より優先的に配慮されたり影響力をはてなに対してもつなどということは、どう考えたってありえない。