謝罪

http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20041119#1100825911

感情を満足させるための行為としての謝罪なら必要ないと思いますが、謝罪要求というものは、基本的には、謝罪というよりも、間違っていたことを公的に認める宣言を出させる、という意味において、政治的な行為なのだと思いますし、その意味で時として必要ではないかと思います。何かをいうということは、それ自体、後になって、現実的な効果をもつ「行為」なわけで、具体的な個別のそれぞれの議論の結果と過程以外の場所に、常識やコンセンサスというものが宿っているわけではない以上、それぞれの議論がコンセンサスや常識をどちらの方向に移動させたか、きちんと確認を取り、言質を取ることで、議論の結果に、実効性を持たせる、ということは、場合によっては必要じゃないかと。そうなくては、議論である内容に合意したということが、まったく孤立した出来事で、他に及ぼす意味を持たないことになってしまいます。純粋に、民事的な意味で、当事者にしか意味がない理由で議論をした場合ならともかく、ウェブでの議論は、おおむね、ウェブでのコンセンサスはどうあるべきか、という契機も含んでいるわけですし、だからこそ、公開でやるわけです。そこで、「心から反省している」という事柄、およびそのパフォーマンスはですから不要で、むしろ法的な意味で「宣言」することのほうが本質だと思います。多くの場合、そういう内面的真実を要求してしまうから、話がてんでおかしくなる、というのはまったくそのとおりですが。もちろん、ここで広い意味で、倫理的、政治的な動機で議論する場合なので、本当はどうなんだろう、という議論の側面では、議論に結果を出し、その結果に責任を負うという宣言を出す、ということは、不自然で不要なことなのですらありえますが、これは多くの場合両立させざるを得ない、と思うのです。