ジャン・リュック・ナンシー
を読んだ。最近のテキストなので、問題意識がよくわかって面白い。そういう意味では、同時代ではないテキストとを読むのとはやはり違う。グローバリゼーションによって世界が外部を喪失し、共同体の間の距離と差異と空白ゾーンがになっていたものが、内的な階層的差異と構造化にとってかわられる。それは世界の都市化とその単一の超都市の階層化として理解できる。このとき、この超都市に包摂された諸部分は意味論的関係を持たないまま階層的に分別され隔離される。それがゲットー化で、このような意味的、コミュニケーション的、世界論的な断絶を克服して、相互に独立的で差異を尊重しながら、ひとつの世界を構成するような、関係の再構築の方途が必要である、そしてそのような関係の場として、具体的な意味を押し付けるものではなくむしろ多様な意味を可能にする空間としての現実の共有が前提になって初めて、世界の外部の喪失の結果としての相互断絶と階層性からなる不正に対抗できる、という話。多分。つまり、思うに、パースペクティブを共有してしまうと、同化の暴力を結果してしまうけれども、現実を共有しない限り、そして、同じ現実をともに生きているという経験がない限り、関係することそのものが可能にならない、しかし、まさしくグローバリゼーションにともなう世界の外部の喪失と、政治的経済的構造の均質化は、世界の多様性を、関係そのものが不可能になるような形で分断しつつある、という認識があるのだろう。