ミーガン法とニートとフィギュア萌え族

思いつきでいうと、要するにいまどきは何でも生まれつきの、あるいは変更できない「属性」として、物事を理解することのほうが、しっくりくるようになってしまっているってことなんじゃないか。
しかし人間なんて自分を形作っている関係の関数だろう。
ということで、むしろ生得主義や責任主体を社会的フィクションとしてではなく事実問題として主張する風潮のほうこそ問題にすべきなんじゃないかという気がする。