弁明的に

http://d.hatena.ne.jp/achaco/20050508
http://d.hatena.ne.jp/Mmc/20050507

いま考えてみると、ぼくにとっては、あの文章は、本人の意図をたしかめなければいけないような多義的というか、曖昧なものではなく、実際、意図自体はわからなかったわけで、そういうものではなくて、純粋に文面のかたちの問題として、否定的な意味にはどう読んでも取れないように見えた、だから、「真意」を確認する必要があるような性格の「行き違い」ではなく、単純な誤解なのではないか、そう、これはそういう解釈を絶対としているという意味ではなくて、ぼくにとってはそう思えたという意味ですが、だから、それでもめるのはいやだと思ったから、ということになるかと思います。ですから、ぼくには、それが軽率ということでもあるのかもしれませんが、代弁という気持ちはなくて、あくまでもその文章の文面を否定的に取るということに、とっさの違和感が強かった、ということがあります。これも繰り返しますが、そうとしかとれないというぼくの感覚を絶対であるといいたいのではなくて、ただ、ぼくには、主観ではなく、それなりにあの文章の形式面から、あれが否定的な意味合いではないというのは、いちおうは客観的に説明できる主張のように思えた、ということです。

もちろん、かのせさんのところに、落着したと書いてしまった手前、そこからリンクをたどったりして派生したことに口を出したくなった、という、完全に余計なお世話もあるだろうし、日ごろアンテナにいれて読んでいるので、anotherさんがそういうことを言いそうにはないという、多少は肩入れ気味の厳密に言えば公正ではない心情もあったかもしれません。

追記
http://d.hatena.ne.jp/achaco/20050509
そうはいってもその解釈はあくまでぼくの感想なのだから、ということですね。ですから、そこがあの発言の文面の評価の違いなのだと思います。つまり、たしかに、つきつめればどんな文章の読みも主観的な解釈ですが、たとえば「ぼくは昨日福岡に行ったよ」という文章を書いた後で、あれは福岡に行ったという意味で書いたのではない、といっても、いや、だって、その「文章はそうなってないよ」と読む側は言うし、その場合は、「意図」ではなく「文面」が優先されるべきでしょう。そういうレベルで、ぼくは、あの「文章が」、発言者ではなく、文章が、否定的な意味で書かれていない、そう理解した、ということです。つまり、仮に、anotherさんが、うん、あれは揶揄するつもりで言ったんだよ、といったら、ぼくは、anotherさんに、それはおかしいですよ、文章はそうなってないですよ、と、主張できるような、そして場合によってはそうしたでしょうが、それは、主観ではなく、文章の形式、文章がそうなってない、ということを根拠にいえる、そういうレベルの話だと理解したから、ああいう発言になったわけです。実際、ぼくが、これは、文章自体ではどちらともとれる、どちらかの判断は本人の意図をまつしかない、あるいは、そういうあいまいな文章だ、と理解していたら、ひとの代弁になると考えて、ああいう発言はしなかったでしょう。ですから、これは、ぼくが、ひとの言葉を代弁することに対する意識において、この場合achacoさんと考えの違いがあるわけではなくて、あくまで、あの文章の理解で違いが出た、それが反映した、そういうことであると私は考えます。で、だからといってぼくはいまさら、この追記で、その読みが正当だったかの議論をしたいわけではなくて、あくまでも、理由を説明しているつもりなわけです。つまり、極端な言い方をすれば、ぼくはあのとき、あの文章を擁護したのであって、anotherさんを擁護したのではありません。つまり、もしかしたらanotherさんは批判に値する意図を持っているかもしれない、そしてそれはわからない(その時点ではわからなかった、そういうことです)、しかし、この文章を以って、そういう意図を表明しているとみなすのはおかしい、そういいたかったわけです。