理由の理由

http://d.hatena.ne.jp/nazoking/20030709#1057676760
言及された元の僕の文章はかなり厳密さを犠牲にして書いているので、そういう意味で反省しています。

さて、


「その理由はない。理由がない証明はかくかくしかじかである」と記述することが可能だ、という希望がある
というテーゼの根拠は何でしょうか。無根拠な主張のように思われます。

もしも、この証明Aが、本当であるということを、証明する必要があるとしたら、以下、理由の理由の無限が進行します。

もっとも、わたしの主張は、科学的知識は理由の理由の無限連鎖に陥るがゆえに無根拠である、などということではありませんでした。

1 現在の科学的知識は不完全である。(わからないことがある)
2 科学的知識は研究の進展により拡大しそれまで説明できなかったことが説明できるようになる。(わからなかったことがわかるようになる)

という命題を承認した上で、

3 だから、あらゆること(すくなくとも経験的知識の領域では)を科学は(すくなくとも原理的には)知ることができる。(だからいつかはすべてがわかるようになる、ということがおこりうる)

 という命題3を否認したのです。

 理由は、残されているまだ分からないことが有限である、とはいえない。何かがわかるということは、かならず、あらたな分からないことを生み出す。とわたしは考えるから、です。

 なお、これはこの主張と直接はかかわりませんが、なぜ「すべてが科学的に知りうる」ことが科学にとって「希望」なのかはよく分かりません。無限に未解明なことがあらわれるということは、なんら科学的探究にとってマイナスではないと思いますが、なぜなら無限に科学的知識が増大しうるということでもあるからです。(ただし、わたしは個としての人間に知りうることには上限があると思うので、この無限に増大しうるというのは、もちろん、原理的にということです)そもそもすべてでなければ無意味だというのは奇妙な主張のように思われます。

 まず、科学的知識とは、出来事のあいだの関数的関係の解明でしょう。したがって、科学的知識の増大とは、現在の理論では起こりえない事柄が現に起こっている、という事実に対して、その出来事が必然的に起こるものとして位置付けられたあらたな理論を与えることでしょう。

 ここで問題なのは、

 1 世界の実在が、そもそも科学的理論がそうであるような、もろもろの要素間が無矛盾な関数的関係をもって体系をなしている合理的システムである、
 というテーゼがただしいかどうかです。

 2 世界の実在は、科学的理論によって矛盾なく語りうるような構造をしているが、科学的理論のような構造はしていない、理論の整合的な合理的で一貫した体系という性質は、世界の側の属性ではなくて、人間知性の属性である、
 というテーゼは、科学によっては否定も肯定もできません。

 いいですか、世界が、理論によって説明しうるということは、世界が、理論のような構造をしているということではありません。理論の合理性が、世界の属性ではなく、世界を把握する人間知性の属性である、つまり、人間知性が、世界の合理的側面のみを把握するのだ、ということは、成り立つ仮定なのです。

 世界は理性的である、というのは、信念、あるいは自然科学の「要請」であって、それ自体証明されたことではないのです。(もちろん、そこにはキリスト教とヘレニズムの伝統がかかわっているでしょうが、そこに還元できるわけではありません)

 ですから、理論が常にすべては説明できないできた、ということを、理論一般というものの構造的属性と見るか、単なる段階的な、われわれの現状での無能力のゆえと見るか、というのは、ひとつの哲学的な主張、立場の相違であって、それ自体、自明なことではありません。

 くりかえしますが、そのことは、科学の有効性をいささかもうたがっているわけではありません。むしろ、科学がすべてを解明しうるという「形而上学的信念」に疑問を表明しているだけです。

 ついでにいえば、ないと証明されたものを追い求めるのは無意味です。まったくそのとおり。そのことにぼくは異論を唱えていませんよ。

 最後に、これも蛇足。証明一般が理由の無限遡行に陥らないのは、その理論領域に対して外在的に、恣意的に、というか無根拠にそれ以上うたがわないことにする、と決定した前提、公理をおくからで、公理系はその公理を証明する(その公理系内で無矛盾であることを示す)ことはできますが、その公理を根拠づけることはできません。したがって、自然科学の基礎付けという哲学問題(ぼくはここではそのことを主題にはしていませんが)というのは、このそれ以上うたがわないことになっている前提が、実在と対応していることを、科学はそれ自身の公理を疑えないのだから、どうやって根拠付けるのか、という問題です。このへんはゲーデルとかパラダイムとか理論負荷性とかの単語で検索すればいろいろでてくるとおもいます。なおこうやってほかに下駄を預けるのは、ぼくの主張は、こっちではなくて本論で述べたほうの問題だからです。