ゆううつなのでどうでもいいことをかく

 しかもひらがなでかくことにする。かんぜんにいやがらせである。しかもだれのとくにもなっていない。じぶんだってそれできがはれるわけではない。あほうというのである。どうでもいいはなしというのはたとえばこういうはなしだ。かみさまはてんにいらしてわたしたちをみまもっていてくださるのだろうか、という、たあいないはなしである。だいたいいなくてもこまらなかったものをいまさらいるのかいないのかふあんになってさわぎだすというのがおかしい。というか、かみさまなんておいでになるわけないじゃないか。かみさまなどどこにもいないのだ、そこにおんちょうのひかりのひみつがある、とかなんとかしもーぬ・ヴぇいゆがいっていたが、あれはほんとうか、それともとおいひのきおくなのか。
 ちなみにぼくはかなもじかいのまわしものでもなんでもない。しいていえばたくぼくのでしとでもなのっておこうさらばだあけちくん、ろーんぶろーぞー。なんだかまったくわからない。だからわたしはふゆかいなのだ。そしてぜったいにこういうところで、しゅごのいちにんしょうをとういつしなさいといわれるにきまっているのだが、ほかのことにかんしてはわたしもたいがいほしゅてきなほうだが、これはいやだ。だんことしていやだ。いやでないひとにはわからないだろうから、せつめいしない。
 かみもほとけもない。だいとうりょうはせんそうずきのあぶらやのむすこ、ばかばかしい、といってふてねしていてもなんとかなるのならあんたいだが、それでもあさはくる、くそ、おろかしい、あほらしいうつくしい、いきていく。そういうはなしだ、おちがつきやがったなんのこっちゃ、それでもひはのぼり、わたしはくちづけをわすれて、そのためいきをだきしめる。えんど。