語る立場

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/articles/masuoka030412.html
語る立場の略奪 増岡賢さん

ぼくは、原理主義テロ対西洋的価値観という対立軸は正しくないと思う。
だが、こういう対立軸が、アメリカの一般市民レベルで成立していること、
そして、イラク政府の約束違反と湾岸との戦争の継続性の観念が、
戦争の論理を正当化していることを忘れてはならないと思う。

つまり、実際に存在するイスラム・テロリストへの対策、思想的把握の対案を示すこと、軍事的人道介入を肯定するかどうか立場を示すこと、国際法を実効性あらしめる方策を示すこと、は、今度の侵略の正当化に対応していく上で不可欠だと思う。

そういう意味で国連の無能という主張に対し(アメリカこそが国連を機能停止させてきた大国のひとつではないかということはさておき)、真剣に国連を実効性あるものにするにはどうすればいいか、ということは考えていい。

ちなみに、米国の公式的立場にいちばん近いのはおそらくたとえばこういう主張。
http://members.jcom.home.ne.jp/i-kawag/index.html/wariniraq.htm

国連はだめだという人はいくつかの点で軽薄だと思う。

ひとつ、国連がだめでも、国連に代わるものは絶対に必要だ。と、なれば、国連に代わるものをあらたにつくるほうが、国連を改革するより簡単だ、あるいは有効だという論拠を示すべきである。そして、おそらく、そういう論拠はないのではないか。

ふたつ、国連が長年機能停止してきたことは事実として、その原因や、責任のある国家、あるいは国連の制度上の具体的な問題を考えずに、あるいは明示せずに、国連はだめだというのは、そもそも、国連への無意味な敵意を表示しているだけではないか。

ぼくは国連信仰を持っているわけでも、国連が現状で十全に機能しているとも思わない。そうではなく、国連がなければ達成されなかったかけがえのない業績があり、そして今後も、国連という国際組織の全体的な枠組みは絶対に必要で、そのためには、どれほど機能停止していようと、われわれは眼前の国連からはじめるしかない、といっているのである。

そういう意味で、ぼくは今度の戦争にかかわって、あまりにも国連軽視の発言があったとおもっているし、大国の国連軽視の発言そのものが、国連の機能低下の原因になり、それがまた国連軽視の論拠になる、という発話効果の側面を見るべきだ、とおもっている。