訴えてやる!

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20030517#p4
 法律というのは、最後のぎりぎりで出てくるべきもので、話し合いをそれ以前で拒否するのは、市民としての自治精神の欠如だと思う。法がまず出てくるということはそれ自体としては悪いことではないはずなのだが、その効果として、話し合いそのものの意味を無化してしまう。つまり、暗黙のうちに話し合いをする気はない、というメッセージになる。
 また、企業なんかの相対的に有力な存在が、相対的に無力な個人を訴える場合はなおさらだし、ましてたとえば相手の無知に付け込んで脅しつけるのはもってのほかだろう。法が必要な場面は常にあるけれども、安易に法に訴えるのは、権力の介入を強めるという意味で好ましくない。
 もちろん、法に訴えても裁判という形で公正は担保されるはずだから、訴えることが脅しになるとは限らないはずなのだが、現実には訴えられることそのものが不利益になる場合というのはつねにある。
 おそらく、問題は、対話への意欲が全般的に社会から減りつつあるということなのだと思う。対話なき対決は、既存の選択肢の中からどれかがえらばれるだけで、生成や両者の生産的変化という結果を生まないので、どうしたって不毛だ。避けられるなら、それに越したことはない。すでにただしい答えを所有しているという考えはそうした意味で人を堕落させる。