プラトン風について 続き

さて、考えてみると、

1 テキストがプラトン風の愛という言い方で指示している中身は何か。

2 プラトニック・ラブとはどういうことか。

3 プラトンの愛についての考えはどういうものだったのか。

 という三つの愛についての概念をある程度明確にする必要があるわけで、面倒この上ない。

とりあえず、
プラトンの愛についての考え
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/1e.html
http://ryota-t.tripod.com/book/i-nonfiction10.htm

宮廷風恋愛
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/kowa/mes127courtlove.htm

プラトニック・ラブ
http://www.remus.dti.ne.jp/~k-tanaka/namadai/labo/manie/manie3.html

予想していたとおり、プラトニック・ラブの現在の意味には新プラトン主義が背景にあるようだ。

さて、ここまでは資料として一応おいといて。(ただ、新プラトン主義やそのキリスト教バージョンとプラトン哲学はけっこう違う。とくに肉欲と精神という対比はギリシア哲学ではなくキリスト教的な対比だということはおさえておきたい。プラトンは肉体的愛を肯定している。そのうえで、それを端緒として真善美への愛へといたるべきだと説いているのである)

具体的な議論について。
http://www.alles.or.jp/~tsuruba/#0723
大前提とか小前提という言葉が一般的な三段論法での定義と違うようなのでその辺は気になりますが、いちばん、問題になるのは、

【解釈2】 「プラトン風の愛」という表現を簡単に分解すると、プラトン+(形容詞表現としての)風+の+愛となる。

【解釈3】 分解された複数の単語からの連想として、通俗的表現の「プラトニック・ラブ」という言葉が当てはまるのではと予想する。

の2から3への移行が一般的か、飛躍があるか、ということだと思います。まさにここです。問題は。

ここで、プラトンについて知識がある人は、3へ移行しません。あるいは解釈3は、唯一の候補ではなく、どちらかというと、より弱いほうの候補としてあらわれます。その場合、第一候補になる解釈は、

解釈3b「プラトンが考えていた理想的愛、またそれに非常に近似したもの」

です。問題は、テキストに、この解釈3bではなく、解釈3へ移行することを、とくに指定する部分があるかどうか、ということです。文章を素直に読むかぎり3bのほうが文法どおりの読みであることは滅・こぉるさんの論証で明らかだと思います。文脈として指示されている宮廷風恋愛が、解釈3bではなく解釈3を支持するとは特にいえないように思います。

もっともここで宮廷風恋愛が介在することがやや事を面倒にしていますが。

さて、ここで小説論的批判をすれば、笠井潔は、読者に対して、「プラトン風の愛」を「プラトニック・ラブ」の意味に限定して読ませるために十分な努力をしていない、読者が、プラトンについて知識がないことに依存した記述をしてしまっている。これは、小説作法として不用意であり批判に値する。ということになると思います。実際、たとえ蔓葉さんの主張するような意図が仮にあったとして(この点については、このようなテキスト総体の解釈に影響し、しかも、普通想定されない読みを提唱する場合は、そちらのほうに立証責任があると思います。つまりそのような解釈を示唆する具体的記述をあげるべき)、それでも、プラトニック・ラブの意味ですよ、と限定する方法はいくらでもあったわけです。実際、このテキストは、あくまでもプラトンに参照して理解する余地を残している。で、もしそうだとしたら、今度はそういう理解の正当性が問われうる。つまり、意図と効果の違いが発生してしまう。(もちろん、笠井潔が、解釈3の意味で理解してほしかった、という仮定にたった上で、ですが)だから、やはり、笠井潔が、明示的にプラトニック・ラブの意味ですよ、という但し書きなり、何らかの「語の再定義行為」をしていない、ということが問われているわけです。意図どおりに読まれることを安易に仮定してしまっている、ということでしょう。ですから、反論は、いや、文中で十分に解釈3bは排除されている、ということを示すことでしかありえない、と思います。明示的に排除されていない限り、それがまさに字義どおりの読みであるという強力な理由により、解釈3bは、第一候補にならないとしても間違いなく同等の候補になるだけの権利をもっているわけです。