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1 ぼくだってシステム的に対処するのがベストだと考えている。登録するときにいちいち考えなくてすむほうがいいに決まっている。ついでにいうと、かな数文字の制限をシステム的に実現してほしいとはぼくは「いっていません」。あくまでも、システム的にもっと登録の制限か自動リンクの選択肢が用意されない現状での暫定的な対応として、ミスヒットしやすい単語の登録は避けてほしい、ということです。

2 なっちという特定の語に思い入れも嫌悪もない。ぼくは、キーワードとして存在しているべきかどうかとその言葉への思い入れとをまったく無関係だと思っているから。ぼくは単にひらがな三文字で変なところに自動リンクしやすいということしかこの言葉についてはこの件に関しては一切意見を関係させていない。それ以外のこの言葉の属性を考慮に入れるべきだとも思っていない。特定の言葉が「キーワードでない」ということはたいした不便ではないと考えているから。また、とくに代表例として考えているわけでもない。実際、ぼくは削除から戻されてもそれを削除にまたまわす意思はない。ぼくは基本的に、ルールへの明確な違反以外の理由で削除にまわしたものが復帰されたときに再削除するということはしないことにしている。ぼくはそういう理由から、削除に移すことを極端な手段だとは考えません。たしかに執拗に再削除を繰り返す、という場合は、あるいは大量に削除するという場合は、極端だといっていいとおもいますが。ついでにいえばぼくは紺野さんがなっちより好きだがそれはぜんぜん余談。

3 ミスヒットが不快であることに一般性があるといったのは、文法的におかしなところにまたがってリンクがあることは、本来、文章を読むという行為にとって、ノイズだからです。気にならないひともいるでしょう。わたしが気になるのは一般性があるといったのは、そういうふうに感じることは偶然の特殊な事柄ではなくて、それなりの理由があって、つねに一定程度存在するし、その理由は、決して、納得のいかない不自然なものではない、つまり個別の事情でおきる事柄ではなくて客観的な理由がある、そういう意味です。多数派であるとか、気にならないという場合よりもより正しいという意味ではまったくありません。

4 キーワードがある程度制限されてこそいきるというのは、単純に文面が、情報として無効なリンクでうめつくされてしまったら、そこから、有効なリンクを際立たせて取り出すことができなくなるからです。有効無効はひとによって違うというのは事実ですが、それにしても最大公約数的なコンセンサスをつくること、具体的には「説明を要する言葉」と「説明を要しない誰でも知っている言葉、いぬとか」をわけることは有効でしょう。それはシステム的にどうにかしてほしいところですが、そうでない以上、どこかに線を引きたいという意味です。そのような線が現行の公式ルールではゆるすぎるということです。つまり、制限がないとリンクされない文面とのコントラストがなくなるということです。もちろん、この点については、ミスヒットを理由にする制限以外のほうがのぞましいという意見があること、議論を範囲の制限が必要だということ一般と、ミスヒットはその制限の理由として適切かという議論はわけたほうがいいということは認識しています。その点ではやや混乱があったことを認めます。したがってこの論点は、ミスヒットに関する議論で以後強調するつもりはありません。ただし制限一般は必要だと思いますし議論もされるべきだと思います。

もっとも、かな二三文字のミスヒットは、文面を量的な意味で適切ではないリンクで埋め尽くす可能性が、今後、たくさん登録された場合、ほかの語よりも高いという意味で、関係なくはないと思いますが。つまり、ひらがなは文法要素にミスヒットしやすいという意味で。