あとちょっとid:kosekiさんに反論

まず、趣味の問題に物事を帰してしまうのは安直なんじゃないでしょうか。それはべつにいいんですけど、ともかく、ぼくがいっているのは、物質的存在に存在をまとめることではなくて、存在とは別に霊的存在という範疇を立てる必然性はない、ということなんです。

いいかえると、物質的存在というときの物質的、というのは限定語ではないんですよ。存在を物質的存在と呼んだからといって、存在が限定されるわけではない。

(もちろん、存在者の二次的構造として存在するもの、形式とか情報とか概念とかの存在はここでは別とします。当然のように、わたしたちはそのような二次的存在者ではなく、一次的存在者について語っているはずなので)

いいかえると、ぼくには、霊的存在と物質的存在というふうに、一次的存在を分ける基準と必要性がまったくわからないし、霊的存在を物質的存在とどのように区別して理解しているのかもわからない、といっているんです。ですから、わたしは一次的存在は一種類であるといっているので、それを本来、霊的存在と物質的存在とわけたときの物質的存在と同じ言葉で呼んでいるのは便宜に過ぎません。本来は、存在に種類はない、といってるだけです。

もっと簡単にいうと、あのー、で、霊的存在と物質的存在ってどう違うんですか、という問いに答えられない限り、このような区別を立てる必然性がどこにもない、ということです。

あと、注釈。わたしは物というとき、物理学の現在の理論の物質にたいする解釈の意味で使っていません。このことも強調しておきます。自然科学の物質というものの定義や解釈は可変的です。そうではなくて、そういう解釈や理論の根拠になる、物やあるという言葉が意味することを意味しているわけです。物理学の物質への理解や理論は、物とか「ある」ということへの哲学的な水準での了解があった上での、その解釈です。わたしはそういう解釈のことをいっているわけではなく、人はどういう場合にそれを物と呼ぶか、という水準で物質という言葉を使っているわけです。