かっこわるいことはかっこいい

http://www.otsune.com/diary/2003/09/07.html#200309074
うーん、ぼくはたしかにハンソロやルパン三世的な意味での「深刻にならない」ことのダンディズムはわかりますが、一方で世代論として一般化するつもりはないので自分のこととして、ネタ主義、意識的であること、演技の意識、そういう価値観には反発もあります。それはやはりぼく個人にとって、そういう価値観が上の世代のものに思えたからだと思います。(ぼくは1975生まれ)というのはそういう価値観の堕落した部分では、「これはネタだから(笑い)」というような逃げを感じざるを得ないからで、どこかに大事に本当の自分を取り分けているように感じるからです。しかし、不思議ちゃんや仮性天然よりも本気の人のほうが面白いわけで、遊ぶなら大まじめであるべきなんじゃないか、わたしはいまネタとして、キャラとしてやっているのだ、そしてそういうふうに意識的にコントロールしているのだ、そういうふうに意識的でないのはだめだ、という価値観はかっこわるい、そういう感覚は確実にあります。記号として「嘘だけど」というのをつけただけで距離がおけるわけではないし、舞台の上で人を殺したら、やはりそれは殺人なわけで、そういう真偽や仮面と本当の自分というのをきれいに分けすぎるような感じを、「ネタ」や「笑い」を価値とする態度に見てしまうのかもしれません。(もちろんそういうものをみてしまうことが正当化されるというつもりはなくて、そういう態度を自分が選択しない、むしろネタにもあえてがんがんマジレスすべきだというような意識はどこからくるんだろう、と考えてみるとそういうことだ、ということです)

とはいえ、もちろん、DIMEとか反社会学講座とかはかっこいいし面白いなあと思います。多分、どこかでこれはネタなんだよというような未練があるのがかっこわるいので、こいつは本気なのかもしれないというくらい徹底していればいいのかもしれません。そしてそういう意識的であろう、見世物であることに徹しようという意識への違和感というのはぼくのなかでテキストサイトへの違和感とつながっているような気もします。なんというか、プロレス的だなあ、という意味で。