はてなと村関係

id:nobodyさんとかid:sugioさんとか。とりあえず、近所にいるようでよかった。よかったというか、まあそうだろうなと。だからといって日記の内容をどうこうするわけでもないし。

こういう関心空間的つながりは、興味関心の方向の共通性なので、かならずしも、馴れ合い的なコミュニケーションを意味するわけではないと思う。というか、揶揄されてもひらきなおってユーモアにしてしまうあたりはなかなか健康的な感じがする。関係を意識化することは、そこに境界とか排他性が生まれない限りはいいことだ。問題なのは、「仲間内」をつくりあげて、擬似的な主体として擬人化する語り口が発生してしまうことで、警戒すべきことがあるとすればそういうことだとおもう。じっさい、べつに「我々」意識なんて微塵もないと思うし。身内意識を微塵ももたずに濃密な交流をすることは可能だし時には必要でもある。相手を予期してしまわないこと。他者を他者として成立させるということは、他者につねに不可解な部分を予期しつづけることだろう。