論031016:ジャーナリズムにおけるウェブログ形式は何が急進的なのか?

http://www.kotonoha.or.tv/weblog/000142_radical.html
翻訳に感謝。
日本において日誌的ページの分類論ではなく、名前が何であれ、それで何かできるのかどうか、できるという言説には具体的に現実味があるのか、そういう議論がこれから必要だ、ということはあると思う。マーケティング的煽りではなく、ドラスティックな変化を期待するわけでもなく、地道に何らかの公共圏の構築ツールとしての有用性を探っていくこと、それはむしろ現状がそこからいかに遠いかを認識することからはじまるのだとおもう。もちろん、それは日誌的ページがすべてそういうものであるべきだという途方もない主張に結びつくべきなのではなくて、あらたに、そういうジャーナリスティックでもしかしたら政治的なニュアンスももったウェブ日記を存在させようとする試みが功を奏するか、それには意味があるか、そういう問いにつながっていくべきものなんじゃないかと思う。

もちろん、もはや付け加えるべきものなどない、あるいはそういう属性を日記に持たせることには有意義な価値などない、という立場もあっていい。しかしそれは「何であったか」という意味での分類論という枠組みよりも、「どうしたいのか」という、いったい日録的更新ページに何を期待するのか、という視角からなされるべきなのではないだろうか。