姉妹(への)愛

アンティゴネ ムージル ポー

観念的な芸術至上主義は不可。

黄昏は観念的ロマン主義者のまばゆいイデアのひかりにみちた賛歌とは違う。もっとつつましやかで穏やかなものだ。現は夢、夜の夢こそまこと、という。それは太宰のフォスフォレッセンスのような何かなのである。

なかば他界にあるということ。観念的ロマン主義の声高さと目線の高さとは異質ななにか。

(そして今の私の語りも、そうした観念的陶酔に近寄っているんじゃないのか、と釘をさす。黄昏は陶酔ではない。)

十九世紀末はアンティゴネを姉妹愛の文脈で読んだというが、たしかにいろいろな誤読があるものだと思う。

萌えが、対象へのロリータ・コンプレックス的な、上からの目線があることは動かせない。ややもすれば、萌えを肯定しようとする人はそれを過剰に一般化しようとするが、やはり、そこにジェンダー的批判にとって見逃せない、性的な「都合のよさ」があることは事実だろう。崇拝と愛玩は、どちらも、まともな交渉・関係の相手として女性を見ていない点で、都合のよいファンタジーなのだから。

ただし、いかなる言葉もそうであるけれども、たとえば女性の声によって取り返されたものとして、萌えが、そうした都合のよさ以外の属性において肯定的でありうる可能性は、というか単に桃井はるこはいいよなあ、という点において、留保。

イナンナ=イシュタルの冥界下り。

イナンナは適当な性格してて素敵過ぎる。

うる星やつらのラムはイナンナと似ているかもしれない。
すくなくともあのマンガの宇宙人は神々の系譜をひいている。
おユキが、エレシュキガルと似ているように。