形容動詞語幹

http://d.hatena.ne.jp/n_kakka/20040827#1093535780

ぼくには「美しい」の「美し」までの部分と「綺麗だ」の「綺麗」とは、文法的性格が同一のものとしかうけとれないので、反対かどうかはさておいても、扱いは用言に準じるべきだと思います。

愉快なひとが、という文章で、「愉快」だけリンクがあったら、私には文節が途中で切断されて、ちょうど「美し」「い」のようになっているのと同じ違和感を私は受けます。これは個人的感覚というよりは文法にそれなりに基礎があるように思えます。

勿論、しばしば、形容動詞語幹のみをとりだしてつかう用例がありますが、しかし、ひるがえって考えてみれば、どの用例でも、それが特殊な、本来の用法ではない、修辞的・文学的用例である、という意識は確固としてあるのではないでしょうか。

形容動詞語幹は単独での文節形成能力がない、すなわち、自立語ではない、ということは最低限確かなように思えますし、この名詞との性格の違いは、名詞とは違う扱いを、そして用言とは似た扱いを要求するように思われるのです。