追記
ええ。含めたいものがあって、それは有用であると、それはわかるといえばわかるのですが、形容動詞の語幹を擁護する限り、大半の用言も擁護せざるを得なくなるんじゃないかとぼくは思う、ということです。

結局、名詞縛りを復活させるなら、それは何故、どんな目的で、ということが明確である必要があって、その理由如何で、文法理論や形式的にどっちに分類されるにせよ、形容動詞の扱いも決まる、ということだと思います。

で、ぼくは、自動リンク・捕捉価値から言えば、名詞縛りは、記述の主題でつながることが本来であるという趣旨をもっていた、と理解しています。もちろんこれはひとつの理解ですが。「美しいと書いた日記同士の内容的つながり」と「ルパンと書いた日記同士の内容的つながり」はかなり性格が違います。名詞でつながる場合、原則として、内容的、主題的関係があります。用言キーワードはそういう関係を発生させません。この観点から名詞縛りを理解すると、形容動詞語幹は用言に準じて理解されます。

つぎに事典的注釈的価値の側面から言うと、記述の充実可能性を考えたとき、形容動詞の語幹は、状態を表す言葉です。しかもそれは事典的というよりは国語辞典的解説を要求しています。どういうことかというと、国語辞典は語の使い方・意味を教えるのに対し、百科事典は、語があらわしている対象についての情報を記述するものです。で、私は事典的コンセプトを字引コンセプトに対して支持しているわけで、その観点から見ると、形容動詞語幹は用言と同一グループに入る、ということです。

で、べつにここでこの二つのコンセプトを主張したいわけじゃなくて、名詞縛りが復活するかどうかも、具体的にどう縛るのか(評議会の今後)とかも決まってないわけですし、そうではなくて、形容動詞語幹をどう扱うか、ということを名詞縛りとの関係でいう場合、どういう視点で名詞縛りを復活したいか、ということとの関連でいわないと、文法そのもので争ってもだめだろうと、反省含めて、思う、ということです。

結局このへんって、キーワードの基本コンセプトをコンセンサスをえるなりはてなが上からきめるなりして規定しないと、それ以上議論しても基本的なキーワードへのイメージが違うかぎり、お互いの主張の正当性に差がないわけで、仕方がない、ということなんだと思うんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/sugio/20040828#keyword

コンセプトを決めないで、徹底的にすみわけを図るというのもひとつのポリシーで、モデレーションはそういう方向にあったわけですが、しかし、ユーザー削除と評議会が残っている以上、完全にその基本コンセプトでいくと決まっているわけでもない。そのへんで、いちばん大枠が決まらないと発言しようがない、というところもぼくは感じています。