はしもとおさむ

http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20041230
橋本治のことはよく知らなくて、桃尻語訳はありえねえだろう、というか、あの若者言葉は当時からおっさんが無理しているというテイストがかなり漂っていた、という印象と、書店に並ぶ本の生真面目だが直球過ぎてつまらなさそうなタイトルのつけ方という記憶しかないので、それをおしてはやったからには何かあるのだろうがさっぱりわからない、という以上でも以下でもないのだった。

というか、思想的な評価で言えば体系とまでいかなくても、テーゼ的な形で、後世の人でも使えるような理論というか認識をつくらなかったひとのことは、よくわからないんだよなあ、正直。デリダとかドゥルーズのことえらいと思っているのもたとえば記号とか表象代理批判のロジックは普遍性があるからで、そういう意味で、その認識が徐々に共有されて、それ以上後戻りできないような変化をもたらす、そういう使い勝手のいい、そして無視できないという意味で決定的なロジックを発明するという契機においてしか思想家のやることってわからないので、だからエッセイ的な本しかかないひとのことは本当にどう考えていいのか分からない。

尾崎豊についてはブルーハーツとかリンドバーグと同じで若い日の恥ずかしい思い出というカテゴリーなので、所詮自分語りにしかならない気がする。といっても当時から好きだったわけではまったくないのだが。しいていえば、曲はそんなにひどく悪くはないが、あんなに感情におぼれて歌うのは愚劣だ、というくらいだろうか。あとは学校が気に入らないなら正攻法で戦うべきではないかとか、そのころぼくは生徒心得とか校則に非常に腹を立てていたから。