性の言説化

http://blog.tatsuru.com/archives/000672.php
http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050114#1105645888
フーコーが性を言説化することは知の権力にくみすることだといった云々。
アモルファスで私秘的な欲望を言説化することなく云々。

神秘主義! ナンセンス!

あたかも自分が言説化しなければ性的なものは言説化されないかのように、あたかも、みずから社会集団に帰属しなければ、社会的アイデンティティを回避しさえすれば、単独的で私秘的なものは守られるとでもいうかのように。

いまだ言説化されていない性などというものはないし、社会的で類的なアイデンティティから切り離しえ、無縁なものとして独立的に存在する内的で私秘的なアイデンティティなどというものもない。そういうものを想定して、そういう「アモルファスな」ものを大事にしよう、という態度は、ナイーブな神秘主義にほかならない。

欲望とは必然的に社会的欲望であり、つねにあらかじめ言説化された欲望である。

一般化して言えばこういうことだ。

分節化は分節化以前の多様性と生命を損ない固定化してしまうというタイプのポストモダン神秘主義は非常によくある。しかし、分節化はつねにすでにあらかじめなされている。だからこそ、分節化の問題を解決するためには、再分節化が必要なのである。再分節化を、分節化以前のアモルファスなカオスの殺害という神話によって拒絶することで、ひとは、じつはあらかじめの、「起源以前の」分節化を温存し、固定化するのである。