原子爆弾について

残酷だから具体的・即物的な描写を子供に伝達する必要はないというのは、間違っている。第二次大戦は実際に神話的なアスペクトをもった戦争だった。普通の帝国主義戦争としての側面をいまは強調し、神話的側面は宣伝であったという言説が有力になりつつあるが、間違っている。そのうえ、さらにそこから切断されて、原爆の異様性は、その現実的感触を忘却しなければ、それを政治的に意味づけたり利用したりできないという性格のものだ。これは冷戦の核の特異性とも「違う」。使用された核と、使用されない核の意味は、やはり、決定的に違うのだ。使用されない核は、それがどれほど神話的で異常に政治的なインパクトを持っていたとしても、政治の範囲にとどまりうるものでしかない。わたしたちは、あたかも原爆を、政治的に利用されうるもののようにして語り、現に政治的に利用された神話として受け取り、それゆえに否定したりするが、そのことこそ、原爆の現実性の希薄化の効果なのだ。

時の関節がはずれ、真の異常事が前触れなく訪れ、言葉はカタカナでしか機能せず、記憶は暴力の痕跡が消滅した痕跡となる。黙示的としかいえない経験は、残酷趣味やトラウマを植えつけるだろうか。そうではなく、天地のうちには、思いも及ばぬことがあるということを、理解させるのではないか。投下されたあの原爆のあの経験は、固有の意味では、残酷であるというよりも、単に言語を絶している。

原爆の後日譚ははだしのゲンのように残酷な物語として語りうる。そしてそれはかなりの部分、たしかに事実だ。しかし、異様なこととは、その日その場において瞬間的に奪われたこと、剥奪そのものなのではないか。

その日その場所を語ることができるか。

剥奪されたものは、もうそこにはないのだから、それについて語ることも、それを嘆くことすらも、厳密な意味ではできない。まだそこに幾分かは残っていればこそ、そうすることができるが、完全に剥奪されたものについては、そうすることはできない。

で、あれば、言語を介在させずに痕跡を、あるいは、かろうじて、痕跡の痕跡を示すことは、やはり不可欠なのではないか。何か意味づけた語りを絶したものを伝達するためには、それ以外方法がないのではないだろうか。

その意味では、ぼくは実は、ヒロシマナガサキの経験の伝達は、反戦に役立つかという観点では、それは別の話であると思っている。戦争と原爆は違う。原爆に恐れおののいた人間が戦争を恐れるとは限らない。戦争はやっても核は避けられると信じることはまったく持って可能だろう。そういう見方では、出来事の固有の側面を見ることはできない。

もちろん、このような宗教的な原爆についての語りこそがひとつのトラウマ的、そして案外いっぱん的な反応である、ということは、いいうる。

しかし、トラウマは癒すべきものなのだろうか。