「た」で追記

そういえば、まさしく状態動詞の継続的用法の例で、参考ページにあるんだけど、

「さっきからここにいたよ」と
「さっきからここにいるよ」

はどう違うか、ってとっさに答えられない質問だよなあ。直感的にいうと、前者は「またせるんじゃねえ!」であり、後者は「気づけよ!」なのだが、それをどう分析すべきかが難しい。

とりあえず、前者は、問題になっている状態「いる」が、「今まで」とどう関係しているかに言及している。これはいわばアリバイにかかわる発言である。それに対し、後者は、「これから」とどう関係するかに言及している。これはリアクションを求める発言だ。

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20050906 での既定事項という言い方はぼくもちょっと思いついたのだが、「確定」「対象化」というモメントは確実にある。しかしそれですべてわりきれるか、というと、ちょっと踏み込めない感じがする。以前のある人力はてなの質問で言うと、「現実」と「事実」の間の差異。現実は巻き込まれるものだが、「事実」はひとつの既定事項として対象化され、そこにはちょうど日本語の「た」と似たニュアンスがある。ひとは現実に操作され、事実を操作する。感覚的には「確定」で腑には落ちるのだが、いちいち説明しようとすると泥沼化するような。

「どいた、どいた」というのが、一貫して理解できる種類のものかというとちょっとあやしい気がする。語源的に少し違うんじゃないだろうか。「どいたらむ」とかじゃないかという気がする。でもこれは根拠なし。

追記。ああ、そうか。これも古典語でも「たり」だな。思い出した。「さあ、並んだり並んだり!」)

状態動詞の発見の用法というのは面白くて、動きの動詞の発見の用法は簡単でアスペクトの点で見れば全部完了の範疇のはず。「みつけた!」の場合、見つける行為は成立しているわけで問題はない。問題は状態動詞。「あった!」は存在している状態自体が完結しているわけではない。ここでは動きの動詞の用法に少し引きずられつつ、「あることに気がついた!」と気がついた、がつねに暗黙に存在しているんじゃないか。あるという状態がその時点で成立・完結したことを意味するとは解釈できないけど、確定したとは言える。ということは完了で統一的に理解しようとするとやはりちょっとずれるようだ。完了や成立というより主観的な確定。微妙な違いだけれども。

ということは、「た」が確定だといっても、それは、客体的な確定に限定されるわけではなく、「私にとって」確定した、ということらしい。

ということは、「た」というのは、「済み」のはんこをぽんと押すことなのかもしれない。

まあ、これは文章を書くときの実感にもある程度沿う。スピードの感覚でいえば、「た」は抵抗で「る」は加速。そしてなぜか形容詞は切り裂く。