ジェンダー

http://macska.org/index.php?p=105
ジョン・マネーという名をはじめて聞いたのでちょっとメモ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC
ブレンダと呼ばれた少年というやつか。

http://www.intersexinitiative.org/japan/review-colapinto.html

あと、キーワードはたしかに性差と性役割とがごっちゃになってるところがあったので、関心のある方は訂正お願いします。

キーワードに付加されていた文章とよく似た論調のもの。あの世界日報だ。
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/050216/01.html

追記。この記事は本人によって意図を曲げられていると否定されているとのこと。http://macska.org/index.php?p=106

で、ジェンダーは文化によってのみ決まる。身体的性差は関係ない、というフェミニズムなんて誰が言っているのか、という話だよな。(もっとも文化社会的に相対的な部分だけをジェンダーと呼ぶと定義している人は、定義により身体的性差は関係ない、ということになるわけだけど)

ジェンダーというのは、生物学的基盤の上に社会的に築かれたものである。その組み合わせがどう現れるかは、個々人によって独特である。それらの振る舞いが、単に環境や養育によって決定されるというほど単純なものではない。マネーのアイデアは、単純に割り切りすぎていて、しばしば性的な発展をミスリードしている。

って、普通誰も反対しないだろう。あげられている上野の例については読んでないからなんともいえないなあ。ただ、上野千鶴子が理論的に日本のフェミニズムをリードしているとか代表的だとかいうのは無理があるんじゃないかなあ。あのひとはいわば論客みたいなものだし。

まあ、過度な社会構築主義が攻撃されるのはよいことだけれども、そのことが、保守派のバックラッシュに利用されて、今度は、実際にはもはや主流ではまったくなく、しばしば存在してすらいない過度の相対主義構築主義を主張しているかのように宣伝され攻撃されるというのは、批判の内容自体はそれなりにただしいだけに厄介だよなあ。それはそうだが、そんなこと言ってないよ、という話だ。もちろん、それと同時に、ぜんぜんもっともではない批判も混ざるから余計めんどくさいわけだけど。

関連
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/sex_gender.html

うーん、自然が養育かという問題設定そのものがミスリードな気もするんだけど、うまくいえないなあ。