追記 万世一系について 11/12

http://d.hatena.ne.jp/leo/20051112/p1
ひとつめ。上のエントリー自体は八木秀次が念頭にあり、leoさんのページを始めてみたのは、その後、書いたあとです。

つぎに、天皇が代々男系継承を(注記。文化的な意味ではなくて生物学的な意味で)名目どおり、事実行ってきた、と、歴史学的に大いに疑わしい点をいちおう抜きにして仮定すれば、「神武天皇から代々」まで「任意の人」がさかのぼる必要はありません。天皇のうち誰かが男系の祖先にいさえすればいいのです。

ぼくとしては、「任意の天皇のうちの誰かに、父系でさかのぼればたどり着く」人がそんなに少ないとは到底思えません。

で、いま子孫が残っている祖先は、時代を経ればどんどん少数になる、という人口学の知見を、ぼくは確かめられないので承認した上で、神武天皇がその少数に入っていると考えるのはなぜか、とおっしゃいますが、それは現皇族が神武天皇の子孫であるという仮定から当然いえるわけです。

さて、人口学的にさかのぼればさか上るほど、祖先が共通になっていく、ということは、いいかえれば、現に今存在する人同士が先祖が共通である確率は、時代をさかのぼるほど高い、ということでしょう。

別の観点から考えましょう。

すべてのひとが父系だけで受け継がれた「万世一系」の祖先を持ちます。で、「男系の万世一系の子孫が残っている」祖先のグループはある特定の時代に限れば、単純に子孫が現存している先祖グループよりも少数でしょう。で、この少数でもって、現在の多数の子孫を担当するわけですから、任意の特定の祖先一人当たりの「万世一系の現存の子孫」の数は、時代を離れるほど、それなりに多数に上るはずです。

で、ほかにもたくさんいる、というのが万世一系を遺伝子で考えることへの批判になるのは、それがまったく特別なことではないのだから、天皇家についてだけいえることではない、天皇家に特別な権威や意味を与えるものではない、ということになるからです。

万世一系が困難であったり希少なことであるのは、それが、皇位家督というものを、遺伝子だけではなく、限定条件にいれた場合だけです。(つまり、たとえば五親等以内に皇位についた人がいる男系子孫だけが皇位についてきた、など。その場合、しかしこれは全然Y染色体の話ではないわけです。)

で、ぼくは単純に、皇室が特殊な遺伝子を非常に苦労して継承してきた、その遺伝子を保存しようとか、あるいは、その遺伝子になにか神秘的な権威がある、というような議論はばかげている、ということを、その遺伝子はものすごくたくさんの人が持ってますよ、ということで主張したいだけなので、万世一系を、「家督相続」や民俗学のいわゆる「天皇霊」のような社会的・文化的なものを基準に主張することについては、とくにここで何か主張するつもりはないのです。

参考
http://am.tea-nifty.com/ep/2005/02/adamscurse.html
アダムの呪い
こういう発言も発見。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7siryou3.html

そういう方々のお一人が、最近も一見科学的な根拠として、天皇の「血統原理」は「神武天皇の遺伝子を今に継承している……男系男子でしか継承できない」とか、あるいは「大嘗祭を行う資格もそのような血筋を持たれる方に限られる」というようなことを述べておられます。
 しかし、私、遺伝学のことはよくわかりませんけれども、常識的に考えて、これはいかがなものかと思います。もし、神武天皇の男系男子孫に「Y染色体の刻印」が伝わっている、というようなことを皇位継承の資格要件の一つというならば、そのような男子は全国にたくさんいるはずです。既に平安の初めにできた『新撰姓氏録』は、京都と畿内の氏族の記録でありますけれども、それによりますと、神武天皇から嵯峨天皇に至るまでの歴代から分かれた男系男子孫は、これを皇統から分かれた「皇別」と申しますが、「皇別」氏族が335 もあります。また、嵯峨天皇以降、それに続く賜姓源氏とか、あるいは賜姓平氏がたくさんあります。そういう臣籍降下した各氏族の男子孫には、すべて「Y染色体の刻印」が受け継がれておるということにもなりますから、そのこと自体は大きな意味を持たないのではないかと私は思います。

似たような議論がここにも。
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200511081913.html

27400 : 又一 : November 10, 2005 02:04 PM

高校生物の遺伝の知識を総動員して考えてみたので、おかしかったら指摘してください。
神武天皇まで遡って、その時代に日本人男性が数万人いたとすると、その数だけの多様なY染色体が存在していたわけです。その全員が次世代に男子を残せるわけではないので、数十代後の現在にいたるまで(変異を繰り返しつつも)Y染色体を伝えられたのはわずかな割合です。男系にかぎるということは、神武天皇の時代に存在していたY染色体の中から神武天皇の物をのみ選ぶことなので、当然、確率的に日本人が滅びる前にどこかで系統が途切れてしまう危険性があります。
ただ、天皇(またはその子孫の地位のある人)とその他の男性を比べた場合、男子を残す条件は(100年くらい前までは)天皇の方が格段に有利でしたから、数十代の世代を経て、神武天皇由来のY染色体は日本人男性の中にかなりの割合で広まってきたはずです(私にだって可能性はあるはず)。神武天皇を始点とするY染色体系統樹は無数に枝分かれし、現世代に伝わっている染色体にはそれこそ無限の多様性が存在するはずなので、そのすべてが失われてしまう可能性は極めて低いでしょう(日本人が滅亡するのに近いくらいに)。現在の皇族に向かって伸びた枝は皇太子の代でどうやら止まってしまいそうなので、天皇Y染色体の系統を求めるならば、数代遡って別の枝を使うしかないでしょう。天皇の尊さが直系のY染色体に由来するものであるならば、どの枝の端をとってもその価値は同じです。

追記

http://d.hatena.ne.jp/leo/20051112/p2

これは自然状態での話ですよね?天皇家の血筋というのは、苦労の末にある種人工的につながれてきたものだと認識していました。例えば側室制度も(善悪は別として)その一環でしょう。現皇族が存在するという一事をもって「だから他の子孫も生き残ったはずだ」というのは「当然いえるわけで」はないと思います。もちろん、臣下に下った一族が全て天皇家並みに側室を持てたり生まれた子どもを良い環境で育てられたり十分な栄養を取れたりしたのであれば別ですが、私には到底そうは考えられません。

とか、

jounoさんの仰るとおりに「現代日本人男性の多くが天皇家のY遺伝子を継いでいる」のであれば、それと全く同じ論拠で現代日本人男性の多くは藤原道長のY遺伝子も、楠正成のY遺伝子も、名もない全ての男性のY遺伝子も継いでいなくてはならなくなります。そのあたりを説明していただけませんか?

このへんに勘違いというか犯しがちな誤謬が現れていると思うのですが、「下り」で考えるから、そういう勘違いをしてしまうんですよ。ぼくも最初は漠然とそう考えていました。しかし、これは「上り」で考えるべきなのです。

世代Aの時点で五十人の男性がいて、50種類のY染色体があると仮定します。
で、現代、1000人の人口があって、これはすべて、その子孫で、外部は考えないものとします。

「下り」で考えると、五十人の中の特定の一人、祖先アルファ氏の子孫ベータ氏が現代人にいる確率は非常に低い、これは貴重なことだ、だから、ほかにも子孫がたくさんいることはないだろう、と考えがちです。

しかしこれは典型的な誤謬なのです。

ただしくは、ベータ氏が存在し、かつそれがアルファ氏の子孫であることが確実であった場合、アルファ氏の子孫がほかにもたくさんいる確率、アルファ氏の現代の子孫のなかでの絶対数は、「最初の世代」と「最後の、現代の世代」との距離が離れていればいるほど、多くなります。

純化していうと、Y染色体はどんどんこの「系」のなかから、断絶してどんどん減っていく、退場していくわけですね。

しかし、人口自体は増えていく。

どういうことか。

つまり、「残っている系列は、遺伝子プールの中での相対的な量的割合を広げていく」ということです。

質問に答えますと、正成や道長の男系が、もし現在まで残っているならば、それは多くの男系子孫がいることがほぼ確実だ、ということです。天皇家が特別に拡散した、などということはまったく言っていません。そうではなくて、現存の男系の子孫がいる祖先は、たくさんの男系の子孫を持っている、といっているのです。(もちろんこれは女系に着目しても同じことが言えます)

(僻地で何百年も互いとだけ婚姻してきた、というような、非常に特殊な場合は別です)

こういうことなんですよ。トーナメントと同じようなことなんです。

男系が断絶したが子孫は残ったという場合、人口の中でそれまで、その断絶した男系の占めていた割合は、その娘を娶ったほかの男系によって占められたわけです。ということは、人口が増えている限り、残った系列は、着実に、ただ残っているというだけで、広範囲に広がった、ということが推論されていいのです。

側室制度などで残すのに苦労するのは、「ある特定の直系」に着目したときだけです。そして直系・傍系という概念は遺伝子とは関係ありません。家督という社会的・文化的制度の問題です。直系・傍系という区別を無視して、男系の子孫を残す、ということを考えると、そんなにむちゃくちゃ困難なことではありません。何度も言いますが、現在のすべての人は、全員、各世代ごとにつねに一人、男系の祖先をもっています。

私は、天皇家やほかの「男系の現存の子孫がいる家系」について述べているので、任意の時代のある世代がみんな現代の世代に遺伝子を残しているというようなことをいっているのではなく、むしろ、その世代の中で、少数の祖先だけが現在の世代に男系の子孫を残さず、ほかの系列は断絶した、「だからこそ」、残っている男系の系列は、それぞれ、相応の人口を獲得しているのだ、と述べているのです。

結果的に残った男系から、われわれはいま「上り」で議論しているのです。そして、男系がしばしば「下り」で断絶するということは、まさしくそのまま、結果的に残った家系が、たくさん子孫を残し、人口の中で大きな部分を占めた、ということの、直接的な証拠なのです。そのことをトーナメントの比喩のところで、あるいはもっと単純に、「時代が減るにつれて男系の種類は減るのに人口は増える」ということは「男系ひとつあたりの人口が増える」ということだ、ということで考えてみてください。図に描くとわかりやすいです。

ちなみに「任意の天皇までたどり着けばいい」というのと「世代が離れていればいるほど」というのはぜんぜん矛盾ではありません。いいですか、歴史学的な疑義はさておいて、神武天皇以来天皇は男系でつづいてきた、と仮定したのです。ということは、任意の天皇に男系でたどり着く、というのは、とりもなおさず、神武天皇までたどりつくということです。そしてこの「任意の天皇にたどり着けばいい」という「チャンスがたくさんある」ということが「世代が離れていればいるほど」の意味なのです。