日本語ドメインの世界は中立的でないgoogle

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/12/15/10238.html

なんだか、単純に識別子として覚えやすいというのではなく、まるで検索サービスを志向しているように見える、というのは誤解だろうか。

たとえば、日本語ドメインが一般化し、あるテーマについてまずドメイン名でさがすのが習慣になり、そのあとで更に、という場合に検索サイトが利用される、という、おそらくは実現しない世界を考えると、これって、結局、レジストリがあらたな特権的な検索サイトになる、ということでしかない。これは日本語ドメインが、というより、本質的にはアドレスバードメイン名を検索代わりに使用することを推奨することについて、というべきかもしれないけど。

しかもこのあらたな「検索サービス」はgoogleに対して二つの点で退化している。まず、この「検索サービス」の検索ランクはページランクのような、利用者の利便性を考慮したプロセスによって決定されるのではなく、ドメイン名の入手という、そのデータの内容そのものとは無縁のプロセスで決定される。これは、企業側にはSEOの不確定性から解放されるという点でメリットであり、だから、つねに日本語ドメインは訴求力を持ち続けているのだろうけれど、これはまさしくユーザーにとってはデメリットだ。つぎにもちろん、検索サービスとしてはドメイン名はオルタナティブな候補を提示しない。

こうなると、「検索キーとウェブ上で最初に見つかるプライマリーなリソースの対応」が特定の組織によって、あるいは内容からはなれたビジネスの、要するに提供側の論理によって決定されるということになるけれども、これははたしてユーザーにとって好ましいことかといえば明らかに否だろう。

で、こういうのが杞憂で別にSEO的なことを志向しているわけではない、のだとしても、日本語ドメインは決して覚えやすくない。httpやjpやスラッシュを排除できないのだし、漢字であれば、どの漢字かを確かめる手間も生じる。

それに単純に入力の利便性を言うなら、どうせ半角と全角を両方使わないといけないことになるのだから、逆に不便だ。アドレスバーに入力するほうが検索フォームに入力するより楽だということはまったくない。

というわけで、日本語ドメインの報道を聞くたびに、はやくなかったことにならないかなあ、と思わずにはいられなかったりする。