国民主権
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kennppoukokuminnsyukenn.htm
http://d.hatena.ne.jp/tuki1gironn/20051209/1134097688
国民主権の立場からの天皇批判に触れるたびに、「この人は天皇のことがよくわかっていないのではないか」と思うとともに、「国民主権についてもよくわかっていないのではないか」「いいかげんに気づけよ」と憤りを持つことがあります。
いくら国民主権といっても、国民には持てない主権があります。統治権という主権です。統治権は国家が国民に対して持つものです。国民は直接民主制であっても統治権は持てません。統治される対象が国民であることは不変だからです。
では国民主権というのは何に対する主権なのでしょうか。国民を代表する人を選ぶ権利=主権である。もし、そのように理解していたとしたら間違いです。ここに偽装があるのです。国民主権というのは「誰に国民を統治してもらうかを国民自らが決めることができる」という主権なのです。
国民主権は、天皇は統治者ではないから天皇制批判にはならない、というのはそのとおり。ただこの説明はちょっとおかしい。統治者も国民ですし、国家も国民から構成されます。統治権は国民に属する主権の一部です。その具体的な行使において、国民の中から代表者が選ばれるので、統治権を委任された代表者も、やはり国民です。「被統治者」という意味は、日本語としての一般的な意味ならともかく、国民主権とか政治学的な意味のこの言葉には含まれません。その意味がふくまれるのは、しいていえば「臣民」(subject)でしょう。だからこそ「自己統治」の原則が民主主義の重要な原理であるわけです。またそのように限定してしまうと、国民が統治者に、人事権以外で指図する権利、というのが、否定されます。しかし、極端な直接民主制は否定される方向にありますが、具体的な統治に関して国民の意思(とみなしうるだけの議論と手続きを経た意見)は、統治者に指図できる、というのは、国民主権の一部でしょう。よほどのことがないかぎり、そういうことはしないほうがうまくいく、というのはそのうえでの議論であって、権利自体はあるわけです。
で、統治者を国民に含まないという用語法を容認すれば、おっしゃっているのはナシオン主権の議論だと思うのですが、これはプープル主権説と並立する議論なので、現在どちらかというとナシオン主権的な観点が優位であるかもしれませんが、それでもって、「国民主権についてわかっていない」というのはちょっといいすぎなのではないでしょうか。むしろ単に別の考えを持っている、という話でしょう。