patriotism

ラジオで小耳にはさんだことなので疑わしいんですが、宮崎哲弥(ぼくはこのひとをチョムスキーの件もあってあまり信用してないんですが)だか誰だかが、日本以外の先進国の愛国心は、patriotismとnatuionalismの二段構えになっている、日本は、それがなくて、すぐ愛国心ナショナリズムに直結する構造になってる、などといっていた。

 で、つまりここでナショナリズムと区別されたpatriotismというのは、その個人がアイデンティティを感じる、文化的、具体的な共同性、みずからを構成していると感じる継承された遺産の源泉としての共同体への愛なわけです。それは地域主義的なものにかなり近くて、要するにひとのアイデンティティは実際にはくになどという広大な領域の一般的な文化ではなく、もうちょっと狭い領域での、伝統的で歴史的な、たとえば方言とか、食事とかそういうものをふくめた文化に由来するわけです。だから、アメリカだったら州とか、イギリスだったら連合王国のまえにスコットランドがあったりとか、フランスだったらプロヴァンスだとか、そういうものを守る意識がまずあって、そういうものを守るために、国家を支持する。そこでいわば意識的で距離をとったナショナリズムが出てくると。

 日本は廃藩置県以後、そういう中間的で具体的なホーム、「おくに」というものを抑圧した形でナショナリズムを構成したので、国家への幻滅がただちにアイデンティティの喪失につながり、アイデンティティの肯定のためにはナショナリズムにいかなければいけない。、という極端で硬直した形態をとるのだ、と。

 この論、とくに諸外国でのpatriotismの意味とか実態に関してはただしいかどうかわからないけれど、国家と個人の中間に、そういう共同性をアイデンティティのよりどころとしてはさむということは、重要なことだと思う。