game etymology

論争ではなく話題である、ということを断った上で。
語源辞典によると、こうある。


game (n.) - O.E. gamen "joy, fun, amusement," of unknown origin, perhaps from P.Gmc. *ga- collective prefix + *mann "person," for a sense of "people together." Meaning of "wild animals caught for sport" is c.1300. Adjective sense of "brave, spirited" is 1725, from the noun, especially in game-cock "bird for fighting." Game show first attested 1961.
最初、一緒にやること、楽しみ、という意味から、十四世紀に獲物という意味になり、勇敢な、気骨のあるという形容詞が1725年。遊戯の意味から狩猟の意味に変遷するのはわかるけど、狩られる動物の意味になるのは不思議。

というわけで、たしかにgameという語が現在でもたぶんに狩猟、とくに中世貴族の狐狩り、兎狩りのようなものを含意として持っていることはいえるようだ。そしてそこから、目的論の含意が滲んで来るのはなるほどとおもう。つまり、狩猟採集とかの生業としてではなく、遊戯としての狩猟がかなり意味の限定に影響力をもっている。

http://www.sainet.or.jp/~head/Games/essay/sports3.html

そこで問題はgameという語に終了条件、終了可能性の概念はふくまれているか、それはまたどういう経緯でそうなのか、ということになる。この場合、すべてのものは中断しうるわけだから、それ自体もgameの部分として考えられる終了ということだ。例をあげると、わたしにとってわたしの生の終端はわたしというゲームに属するが、死はわたしというゲームそのものの中断であるから、わたしというシステムの「終了」とはいえない。シャットダウンと電源を切るのの違いのようなものだ。

さて、狩猟において、獲物を捕らえることは終了条件をなしているかのように見える。だが、どの獲物をどれだけとらえれば終了かは一般に規定されない。したがって、この獲物を捕らえることに対してメタレベルに属する、終了条件をみずから定義するという狩猟に不可欠の部分を狩猟のうちに含めるかどうか。たしかにこの部分は、終了の外部にある事情によって決定される。(このあと約束があるかどうか、疲れているか、など)しかしまた狩猟は暗黙のうちにこの部分を必要とする。狩猟についていうならば、狩猟全体としては目的論はなくて、しいていえば楽しむことだろう。その手段としてここの獲物、game-bird、目的論が構成される。

したがって、おそらくゲーム概念の曖昧さは、猟園での狩猟において、個々の目的論的な狩猟行為をモデルとするか、それらからなるその日の狩猟をモデルとするかに由来しているのではなかろうか。