vermilion::text about room 17 of 55F "サルたちの憂鬱" β

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 リント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーがドアを開けると、その巨大な代物はいやいやながら轟音を立ててあいた。巨大なドアの割にはベニヤで、全体につくりがいい加減だ。リント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーは失踪した恋人を探してvermilionにやってきた。だがこの塔で過ごした時間は彼に奇妙な作用を与えている。むしろそれはかれの身体から時間を奪っているかのようだ。青年から少年へとかれの外見は変化した。その過ごした時間を彼ははっきりと記憶しない。或る階でかれは明るい眼をした少年に「外」という概念について話した。しかしそのとき少年の祖母らしい老婆の「そんなものはありやしないよ、男供にありそうな妄想だよ」といわれたとき何故か反論できなかった。いや、たしかに「外部」は存在するとかれは「知って」はいたが、あらゆるものがこの塔には内在する限り、なにか証拠を挙げて証明することは決してできないのだった。
 リント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーの目にはじめに映ったのは、だだっぴろい部屋の中央におかれた安楽椅子に「うんざりした顔で」すわっている年老いたサルの姿だった。すでにたいていのことには驚かなくなっていたリント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーは丁重な口調でサルに話し掛けた。
 「ここはなんという場所で、あなたはどなたで、何をなさっているんですか?」
 するとサルは見るのも面倒くさいという調子で身じろぎしてから、意外に明晰な口調で言った。
 「十七号室さ。それが何を意味するのか知らないが、とにかくそういうことになってる。それからあんた、質問をしすぎる。質問しすぎるやつはたいてい長生きしない。おれの経験じゃあな」
 「なるほど、おひとりですか」
 「ああ、みんな逃げちまったからな。おれが最後の一人さ。好奇心とタイミングの悪さがおれの宿痾で、それでこんなはめに陥っちまった」
 「なにをなさっていたんですか」
 「執筆さ。著作活動というやつだよ、兄さん。おれたちは以前、十の十乗だけ仲間がいたんだが、そのころはこの部屋ももっとひろくて、すし詰め状態だったものさ。それでおれたちは協力してでたらめにタイプを打って意味のある文章を作るという活動をえんえんとやってたのさ」
 「成功したんですか」
 「ああ、だが、天文学でもついてこないような時間だろう。おれたちだってだんだん知恵がついちまって、意味のある文章をずるして書いたりするやつが出てきちまう。それで大揉めにもめたり、検閲制度を作ろうとか、本当のランダムさはなんだとか、おきまりのばかばかしい論争が起きてね、それでもなんとかやってたんだが、何億年かに一匹くらいは逃げ出すやつもいたりいなかったりでね。おれたちがうまれつき忍耐強いといっても、やっぱり創作意欲なしにものをかくのはつらいもんだぜ。とうとうおれひとりになっちまった」
 かれの口調はどこか寂しげだった。

 リント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーはそれからしばらくして、かれに「外部」と恋人の情報をたずねたがかれは知らなかった。「なに、そういうことをおれたちがつくった書物の中にかいてあったこともあったがね、それと事実が一致してるかどうかわかったものじゃないからな」しばらく世間話をして(サルはじつにうまい紅茶を入れてくれた)立ち去るとき、かれは一冊の書物をくれた。
 「唯一の記念品さ」
 部屋を出て、リント・フェアルーセント・キャッシュバック・スクリーマーがタイトルを見ると、「ハムレット」と書いてあった。かれは歩きながら読み始めた。
 と、かれは最初のページに誤植を見つけた。