定義の定義

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0304c.html#p030429a

論理学や分析哲学的な定義とともに、語用論や言説分析、政治的効果、社会学的理論の観点から定義というのはどういうことか、というのもほしいところ。

 ある言葉を定義するということは、その定義という発話によって、或る言葉の使用に介入する実践だろう。真理値の観点ではなくこの観点から言うと、成功した定義とは、参照される被解釈テキストになると考えることができる。

 つまり、定義文は、意味というよりもすぐれて記号表現なのだ、と。つまり、ある特定の言い回しこそが定義になるのであって、その定義文の特定の解釈が定義になるのではないだろう。勿論、定義文は一定の時期には一定の解釈にともなわれるけれども、これは、定義文プラス状況という演算の効果であって、定義に内在的なものではない。

 別の言い方をすれば、定義とは物証であり、ある語の適切性を、その定義文の表現から「到達可能」であるかどうかによって計る、そういう効果をもつ。そういうものとして、定義は議論に客観性と「同時に」多義性を与える。定義は、解釈ではありえないからだ。

 つまり、定義とはふたつのことなる解釈論的枠組みをもつ他者が、唯一共有可能な客観的実在であり、それゆえに、議論に制約を与える。つまり、所与の合法的な論理操作によって、提出しようとする議論を定義文に変形可能かという形に。

 つまり問題は生成文法的な変形操作であり、この変形操作によって、定義文に還元可能なら、その語の使用は正しい、というわけである。