呼びかけ

id:yhleeさんより、id:lovelovedogさんとの件に関し、
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/20030505#p1
こういう呼びかけがなされた。
自分への攻撃に対して、積極的に対応することはもしかするとネットの行動規範としては忌まれる場合もあるかもしれない。しかし、事なかれではなしが落着するだろうか。勿論、どちらに理があるかは、あなたが関連のアドレスを見て判断してほしい。決して、たとえぼくの主張であろうと、ぼくは鵜呑みにしてほしくはない。
google:愛・蔵太も参考にあげておく。
すでにネットワーク上で周知のこととなっている事実、そしてその騒動が起きたときにもすでに衆目のまえでおこなわれた事柄は、保護されるべき個人情報とはわたしは思わないからだ。

他人事ではないというのは、本当にそうだと思う。

ついでにいえば、あなたが判断を保留しているとしても、ことが注視されているということを表明することは、事態が公正に推移する助けになるはずである。対立が、多くの目にさらされることは、それだけ不正な行為への抑止になることは間違いない。たとえば、言葉狩りという言葉の氏の編集についてあなたはどう思われるだろうか。「 ただし、単語が問題になっているのか、差別や侮蔑そのものが問題になっているのかに対立があるときは、この語の適用そのものが争点になる。」という表現は不明確か。言葉狩りという「便利な」言葉を使うことがその特定の状況について適切かどうかこそまさにが争点になりうるという意味のこの表現が、とくに不明確だとは私には思えない。

追記。
あたかも在日という用語をよんひゃんさんが個人的に不快だから抹殺したのが原因だというような記述がなされている。事実関係をここでも確認しておこう。

第一に、
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/?date=20030209#1044746349
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/?date=20030209#1044773863
http://d.hatena.ne.jp/nobody/?date=20030209#p1
在日という言葉自体はたしかに不快な使用を歴史的経緯からする人もいる。だがそのことをキーワードに、そのような使用を公認するような仕方で記述することは、そのような意味をその語に「与える」行為に他ならない。また、そのような差別的なニュアンスをその語にあたえる、キーワードツリーでのおかれた位置でもあった。つまり、馬鹿やキチガイという語と並列されたのである。
誰でも自由に編集でき移動できるということは、その語がそこにキーワードとしておかれているかぎり、愛・蔵太氏のそのような意図的な編集行為を防止する方法はなかった。最善でなくとも、削除はひとつの手段として理解できるものであったと思う。(また、再登録は常に可能だったのである)

第二に、これは本質論だが、そもそも、キーワードの内容や位置や削除という行為に異論があったとしても、それは意見対立であって、いかなる意味でも、愛・蔵太氏がよんひゃんさんを「既知外」呼ばわりしたことを正当化しない。当然のことだが、くりかえすように、このような暴言を他者にぶつけて、なんの釈明もしないで自己正当化をはかりつづけるというのは、明らかに不当のきわみである。