より正確にいうと、確かに私は二つの段階について両方ともデータが意味を自称すると述べていた。しかし、CGIに対して、pingが意味を自称するというとき、それはそれがpingとしてリファラとは別のものとしてあつかわれる、自動認識される、別物として処理される、という事態をさした。これは、データが解析されて分類されるというだけだ。しかしこの点に関しては、わたしは、機械による解析行為を、解釈に含める広い意味で解釈という言葉を使ったと述べた。したがって、私がここで弁明したく思っているのは、機械が実際に人間的な意味で意味を理解しているとわたしが誤解したがゆえにそのように語った、という理解にたいして、違う、ということだけである。
 そのような解釈という言葉の使用の適切性に関しては、そもそも普通に自動認識というような用法がある、ということがひとつ、それから、データを分析する場合に送信側が受信側の解析方法を理解して、ただしく解析されるようにコード化して送る場合と、送信側は受信されることを想定せず、受信側が一方的に捕捉している場合(リンク元)との違いを明確にするには
(POSTのpingのルールのレベルではすべてのPOSTアクセスがそうなのでこの区別は無意味ですが、POSTのルールにのっとったうえで、たとえばblognameという変数を用いるとか、urlの末尾に記事idの数字をつけるとか、そういう上位の、あるいは特定のルールがさらに上層にある。このルールが存在しない通信を想像した場合、受信側はさまざまなの情報記述の可能性を考慮して、複雑な解析ルーチンを組む必要がある)、
 データが「整形」されていることを意味が記述されていると表現することは有益だと考えた、ことがある。
 つぎにそうして処理されて文字列となったリンクが閲覧者に対して意味を訴える場面については、すでに述べた。