コメント欄へのご返事

えーと、いらだったりしてるわけではないです。失礼な物言いになってたら申しわけありません。僕は本当に、物質から独立した精神を本気で信じている人がいるということが本気でショックだったんですよ。実を言えば、そういうものを信じることそのものが、ぼくには、理屈の上では信じる人がいることは想像できるけど……という水準の話なんですよ。だから、わたしは、いま、わたしにとって、ものすごくとっぴに聞こえる、そちらにとってよりもはるかにおおきなギャップを埋めようとしているのだということはご理解ください。いや、ショックというか、びっくりした、といったほうが正しいでしょうか。

コミュニケーションで、何かが伝わったというので、そこでなにか不思議な経路を持ち出すのは無理ですよ。というか、文面から予測できない反応を相手がする、というのは、読みの経験において、ごく普通のことで、そういう場合、文面だけでは相手の反応が規定されてない、というだけのことだと思います。あるテキストへの反応はそのテキストだけから構成されているわけではない。また、相手がどう解釈するかもさっぱり予測できない。それはむしろ当然のことです。まるでわたしとあなたがネット上だけで存在している機械か何かなら、その反応がテキスト外の情報に基づいてるのは不思議かもしれませんが、そういう場合だって、反応の仕方はいくらでも多様でありうるでしょう。だいいち、そういう不思議な(失礼)仮定をするためには、受信されたものが送信されたものと同一であるといえなくてはならない、すくなくとも、送信側の状況と受信側の状況が、なんらかの相関関係を持たなくてはいけないでしょう。そういうことがなにか想定できるんでしょうか。また、これも再三強調させていただきますが、そういう不思議な経路があったとして、それをどういう理由で非物質的なものとみなさなければならないのかもわかりません。

質問が多いというのは、実を言えば、僕が発している質問はすべて、ひとつの質問の系に過ぎません。わたしは同じただひとつの問いをいろんな角度で繰り返しているので、むしろ多様性がないと自分では思っています。すなわち、存在のなかに霊的なものというカテゴリーを別に立てなければならない理由は何か、そしてその場合、霊的なものとそうでないものは、どういう基準で区別するのか、本質的にはこれだけです。ものであるとはどういうことか、ものにできないことがあると考えるのはなぜか、それはたとえばどういうことか、というのもまったく同じ論点です。

それに私の問いは大半はむしろ反語、そういうことがありえるんですか? (ありえないでしょう)という意味なので、必要を認めなければ質問としてお答えいただく必要はかならずしもありません。

それから、一応書いておくとわたしのほうは直観を論拠にはまったくしていません。とくに根拠として使用できる理由が主張されない限り、ぼくには、直観を論拠として出されても、「感想」としてそうですかと聞くほかありません。できれば、直観を論拠として出すのは勘弁してください。ですから、AI研究者の直観が間違っていたとしても、それは直観や自然科学の理論は当然間違うこともあるでしょうね、ということです。精神が機械であるというのは哲学水準の議論で、自然科学の、つまり、人間が実際にそれをつくれるとか、いつごろつくれるかとか、そういう経験に依存する議論とはレイヤーが違います。もしかしたら、人間にはあと数万年かかってもAIをつくれないかもしれません。ですがそのことは、精神が機械であることの反証には微塵もならないのです。

うーん、このへんも表現が不穏当な感じもわれながらしないではないですが、あの、ですね、直観を持ち出されると、ちょっと、どう対応したらいいのか、わからないのです。ありそうにない、とか、それが素直である、とか、自然である、という水準の話だと、共通の前提を作るのがむずかしいのではないでしょうか。